「この国の危機に日本から」 ポーランド、ウクライナ訪問の木村師に現地指導者
難民受け入れ教会との連帯求めて 木村公一牧師 ボーランド、ウクライナ訪問 国境の町の教会に避難民200人超
日韓反核平和連帯東アジア平和センター(以下・東アジア平和センター)顧問で、日本バプテスト連盟福岡国際キリスト教会・糸島集会牧師の木村公一氏は、「ウクライナ・ミッション」として3月10日から24日まで、ウクライナとポーランドを訪問。そのリポートと日誌から、訪問の様子を紹介する。
木村氏は、東アジア平和センターと糸島集会からの派遣という形で訪問。「ウクライナ・ミッション」の目的は二つに要約される。
①ポーランド(ルーマニア、モルドバなどの隣国も含む)の諸教会や公民館が、ウクライナに隣接する国境付近で避難民を受け入れる多くのシェルターを開設しているが、彼らのエキュメニカルな慈善活動に対し、東アジアに生きる私たちのコミュニティがいかに連帯できるか、その可能性の調査。②ウクライナの特に戦闘地域に位置している諸教会と社会共同体は、人的・物的面で深刻な損傷を被っている。最も重要な課題は戦闘停止だが、人的・物的被害を修復する彼らの務めを私たちはいかに支援できるか、その可能性を調べる。
11日、ワルシャワに到着。12日、ポーランド・バプテスト同盟のマテウス牧師の案内で、国境の町ヘウムへ。「ウクライナから到着する駅の広場には、徒歩、車、バス、列車でたどり着いた人々でごったがえしていた。ピザを焼く2台の箱型トラックが、列に並ぶ人々に、焼きたてのピザを配っていた」
この町にあるヘウム・バプテスト教会は、礼拝堂を中心に多くの施設を持つが、駐車場には「ポーランドはじめ、ヨーロッパ各国から援助物資を積んでやってくる車でいっぱいだった」。
同教会への避難民は200人を超える。うち半数が15歳以下の子どもたち。受付係の3人のうち2人はウクライナ避難民のボランティアだ。その日1日で140人の避難民が入所した。
木村氏は、持参した30万円相当のユーロをこの教会に献金することに。マテウス牧師は「それがベストな使い方だ」と応答。同教会のヘンドリック牧師に渡した。
13日、国境を越え、ウクライナのルーツクという町へ。ルーツク・バプテスト教会で説教を頼まれているヘンリック牧師に同行するためだ。「大きな荷台に日用品や食料を満載した7人乗りのバンに乗り込んだ。礼拝の後は、教会正面に建つ子ども教育センターに支援物資を運び込んだ。私たちは教会員の自宅の昼食会に招待された」
18日、列車でワルシャワ中央駅からヘウム駅へ。国境を渡るためにヘウム駅でルーツクまでの切符を買おうとしたが、「今日の緊急事態ゆえに乗客はウクライナ避難民に特化している」と断られた。その日はヘウム・バプテスト教会の避難所に泊まった。
19日、駅前に行くと、ヘンリック牧師と10人超のヘウム・バプテスト会の若いボランティアとかち合う。孤児院の子ども150人を迎えに来たところだった。ヘンリック牧師は、ウクライナから来ていた車がコヴェルという町に帰るので、その車でウクライナ入りすることを提案。それにより、二度目のウクライナ入りを果たした。
20日、ウクライナの教会指導者たちとの会合に出席。そこでウクライナ・バプテスト同盟のセルギ総幹事と、財務責任者のアナトリ氏と会う。2人からは「この国の危機に際し、わざわざ日本から一人の兄弟が来てくれたことは、私たちにとって大きな慰めであり、勇気を与えてくれる出来事だ」と挨拶を受けた。
話し合いの結果、日本側が4千ユーロの支援金を送ることを決定。木村氏はセルギ総幹事に「この支援金は山火事にバケツ一杯の水でしかない。だが、これは小さな日本の諸教会信徒、無名の市民が差し出してくれた浄財である」と伝えると、セルギ総幹事は「この金額は決して小さなものではない。5つのパンと2匹の魚は、キリストの手にささげられる。すると、パンと魚を受け取る私たちの信仰が問われることになる。謹んでお受けする」と答えた。
「私は粗末ではあったが、先備えをしてきた。次に行く人は私ができなかったことができる」と木村氏。リポートでは、こう結ぶ。
「今回の戦争は、核兵器の抑止力の欺瞞(ぎまん)性を暴露した。日本の政治家らは『だから日本は戦争のできる憲法を持たなければならない』と主張する。だがいかなる理由があれ、戦争によって国際紛争を解決しようとすることは暴挙であり犯罪だ。戦争は政治の失敗であり、戦争を選ぶ政治家は、もはや政治家でなく強盗だ」