創造か進化かの二項対立に調和促すバイオロゴス提案

嶋田 誠(藤田医科大学医科学研究センター講師)

 

 著者自身の告白的な証詞(あかし)と科学的事実を、柔和な態度で紹介することで、未信者・信者を問わず、神を真摯に求め、神と人との平和を追い求めて欲しい、との願いが本書出版の動機だ。

 本書はフランシス・コリンズ著“The Language of God” (2006)の和訳本『ゲノムと聖書』(2008、 NTT出版)の改訂新版である。出版から約15年が経過し、今日的意味を踏まえた解説3編(チャールズ・チェン准教授/石塚雄司主任研究員、関野祐二聖契神学校長)、訳者あとがき2編(NTT版と新装版)が含められている。

 原著出版当時、著者はヒトゲノム計画を率いた研究責任者として、アメリカ大統領とともに記者会見に臨んでから数年経過し、米国の科学政策および予算を管轄する立場にいた(解説411頁)。出版当時、キリスト教界では賛否両論があり、今から見れば日本の福音派の潮目を変えた原動力となった(解説340頁)。一方、日本のゲノム科学研究者たちの間では、公的研究機関の長にある科学者が自身の宗教的な見解を出版したことで、問題視する声が上がっていた。

 この間、ゲノム科学あるいは生命科学は大きく進歩したが(解説411頁)、科学と信仰に関する本書の記述は色あせず、むしろ著者による、福音派の一員として教会の将来のため、一人ひとりのキリスト者への嘆願(8章最後214頁)はますます重みをもって迫っている。14年前の和訳版出版当時読まなかったキリスト者は、おもに次のような理由や事情があったであろう。

 ①当時の福音派教会の保守的な雰囲気ゆえに、本書が聖書信仰を揺るがす恐れがあると警戒していたため、②自らの信仰生活・教会生活にとって、本書の必要性を感じなかったため、③一定の必要性を認めつつも、科学には興味なく、他人事と考えていたため。

 この時間(約15年)と空間(米国と日本)の距離感は、現実の教会が振れ幅をもつ動的な存在であることを実感させる。

 ①の方は、関野校長による解説(333343頁)が有益であろう。そこには、生物の進化について、1970年代から日本の福音派が世界の神学の流れの中でどう変わってきたかがよく分かる。

 原書執筆当時、インテリジェント・デザイン理論(ID論)が米国の教育界と教会とに混乱をもたらしていた。改訂新版出版は、著者が危惧していたことを検証し、反省材料的教材として受け止めなおす機会となる。本書はID論の主張は科学的議論でなく、人間の方が神を擁護しなければならないという意識により焼き直された過去の主張であること、あるいは、自然界の複雑さに設計者の存在の根拠を置くことで、創造者を科学で説明できない論理的「隙間」を埋める存在とし、神の役割を人間活動と同一平面上におくものであることを喝破し、ID論による信仰へのダメージを危惧している。それを、今の我々は如何(いか)に捉えるか。

 評者は立場を表明すること自体が議論の硬直化と分断化を促進しないか心配になるが、なにより著者の意識は、メッセージを届けることにある。そこで、天地創造の記述を額面通り科学的事象ととる「若い地球の創造論」(8章)、ID論(9章)に対する分析につづき、これらの立場に比べ、米国では科学と信仰の調和と統合の立場が弱いことを思い、「バイオロゴス」という名称を提案している(10章)。誤解しないでいただきたいのは、本書は自説を主張することよりも、秩序ある創造主に仕える信徒として、調和を優先していることである。

 「科学と信仰の間で激しさを増している戦いは、そろそろ休戦にすべきではないでしょうか。もともと不要な戦い」(277頁) 。「今なんとしても必要なのは、相手を攻撃することではなく、最善の判断のために双方が対話のテーブルにつくこと」321頁)。この勧めは科学に関心のある信徒に限ったことではない。

 理由②の方も、調和の必要性は当時以上と感じられるのではないか。調和よりも摩擦がもてはやされる(10章)ことに大衆伝道を推し進めてきた福音派は慣れ過ぎてはいないか。進化理論に限らず、あらゆることに二項対立構図を作り出すことで自らの主張を分かりやすく、危機感をもって受け入れさせようとする誘惑と傾向は日本にもある。出版以来、日本では幾多の悲しみを経験した。地震という地球史上繰り返されてきた自然現象を神の裁きとする説教や、反ワクチン・キャンペーン由来のデマがデータ評価の訓練を受けていない人づてに教会内に入っていることを防げない、という現実に直面している。

 「科学は礼拝の一形態とも言えます。実際、信者こそ、新しい知識の探求の最前線にいるべき」(273頁)。「教会の指導者たちは新しい科学の発見に追いついておらず、事実を十分に理解せぬまま科学的見地を攻撃するという危険を冒しているように思えます。結果として、教会が嘲笑を浴び、誠実な求道者たちは、神の腕の中に入る代わりに神から離れてしまいます」(273頁) 。

 実際日本では宣教や信仰継承の困難に直面している。現在の教会が、既存の教えの受け売りではなく、聖書の今日的メッセージを探求する契機と本書がなることを願う。

 理由③の方には、本書の構成に着目してほしい。第1部(第12章)と第3部(第611章)は、それぞれ、証詞と宣教論、人間論であり、多様な神の取り扱いを知り、ともに宣教に与(あずか)るうえで必要だからだ。第11章は著者の内面を驚くほど深く告白した救いの証詞である。ヨブの妻のごとく神を非難したくなる程の、自らの身に降りかかった蛮行や不正をも告白的に記し、読者に寄り添おうとしている(例63頁)。筆者もまた「自分自身の探求を通して、キリスト教こそ永遠の真理であるという確信を得た」。読者は、読者自身の探求をしなくてはならない(269頁)。

 

評者:嶋田 誠

国際基督教大学教養学部理学科卒、京都大学大学院理学研究科(霊長類学専攻)修士・博士後期課程学位取得。国立遺伝学研究所(中核的研究機関研究員)、米国New Jersey州立Rutgers University博士研究員などを経て現在、藤田医科大学医科学研究センター講師。研究分野は進化ゲノム学、生物情報学、集団遺伝学。同盟福音・天白キリスト教会員。

 

フランシス・コリンズ著
中村昇・中村佐知共訳
四六判・360頁 いのちのことば社
定価2,200円(税込)