老松 望 大阪聖書学院講師 ミニストリーつむぐ主宰

そこで祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、こう言った。「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。 もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」( マタイの福音書28章12~14節)

祭司長たちは、真剣でした。抜かりなく、事を進めようとしてきました。
人を惑わす「あの男」を、物理的にも、社会的にも抹殺するために、懸命に努力してきました。何度も協議を重ね、経済的な犠牲も払ってきました。また、大勢の群衆を動員し、何人もの証言者を立て、群衆を説得しました。
もちろん、目的のためなら、何でもありだと考えていたわけではありません。指導者が律法を無視するなら、秩序が乱れてしまいます。ですから、非常事態においても、規定は出来るだけ遵守しようとしました。ユダが金庫に投げ込んだ銀貨は、神殿を汚さないために取り除き、適切に対処しました。

老松望氏

また、起こってくる問題に事後対応するだけでなく、未然に防ごうともしました。そのために、「あの男」の発言を入念に調べ、墓に番兵を付けるよう、ピラトに進言しました。恐ろしいことに、その墓が空になるという想定外の出来事が起こりましたが、「弟子たちがイエスを盗んで行った」という情報を流すことで、対応しました。これらの努力はすべて、社会の安定のため、ユダヤの平和を維持するためでした。
そして、祭司長たちのこの苦労は、いくらか報われました。彼らの思惑通り、兵士たちの流したうわさは、ユダヤ人の間に広まっていったからです。彼らの考え出した「フェイクニュース」は、100年経っても、積極的に語られ続けていたそうです。
しかし、「あの男」の影響力を完全にそぐことはできませんでした。十字架刑は、彼の信用を地に落とすには、最も効果的な方法のはずでした。けれども、その一連の出来事を見守っていたローマの百人隊長は、「この方は本当に神の子であった」と言いました。そして、この百人隊長の応答は、「あの男」の生涯を象徴するようなものでした。彼がまだ幼かった時も、彼は統治者であるヘロデ王から命を狙われていました。しかし、その策謀の最中で、彼は異邦人の博士たちによって、礼拝を受けていたのです。
奸(かん)計、偽証、扇動、買収、暴力…そのようなもので、彼を排除することはできませんでした。なぜなら、彼こそは真のユダヤ人の王であり、「神が私たちとともにおられる」ことを示すお方だったからです。彼を完全に支配することなど、不可能なことでした。
復活されたイエス様は、弟子たちに向かって高らかに宣言されました。
「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています」
この時彼らが立っていたのは、ユダヤの中心地であるエルサレムではなく、田舎のガリラヤの山でした。あの山上の説教の時には、この山にも大勢の群衆が集まっていましたが、今は11人の弟子しかいません。しかも、中には疑う者までいました。天地の主権者を囲むサークルとしては、あまりにも頼りなく、目立たないものです。
けれども、それがどうしたというのでしょうか。私たちの主は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」と約束してくださいました。このイエス様は、世界中に散らされている弟子たちと、今も共にいてくださいます。ですから、私たちは御心を求めつつ、この方が命じられたすべてのことを守って、生きていくのです。