上中氏が講演

 

第30回「ホーリネス弾圧記念聖会」(ウェスレアン・ホーリネス教団、基督兄弟団、日本ホーリネス教団共催、基督聖協団、日本福音教会連合有志教会協賛)が、6月26日、東京・新宿区のウェスレアン・淀橋教会を会場に、オンライン併用で開催された。80年前のまさにこの日、全国のホーリネス系教会(当時の日本基督教団第6部と第9部と結社)の牧師が、治安維持法違反容疑で一斉に検挙された。嫌疑は、同派が強調する再臨信仰が、天皇を現人神とする当時の国体を否定するとみなされたこと。ほどなく教会は解散に追い込まれていく。その50周年を機に始められ、80周年記念となった今年の聖会のテーマは「戦争と権力と市民と教会」。【髙橋昌彦】

 

講演会の講師は、日本ホーリネス教団旗の台教会、元住吉教会牧師の上中栄氏。80年前に検挙された牧師の一人を祖父に持つ。上中氏は冒頭、「30回を迎えたこの聖会を次の世代に引き継いでいくことが重要。それにあたっては、ホーリネス史の学びと、その実態を正しく伝え、記憶をつないでいくことが、困難ではあるが必要」だと語った。

上中氏は、ホーリネス弾圧を通して、今回のテーマ「戦争と権力と市民と教会」を考えていく。

「戦争」は、日本社会、また教会の方向性を決めていくことがある。戦時下の「宗教団体法」「治安維持法」がそうだったように。近年、安保法制、特定秘密保護法、共謀罪が整備され、憲法改正が論議されている。世界のプロテスタント教会の大勢が正戦論を支持する中で、権力と結びついた歴史を持たない日本の教会の大半は、非戦論を取る。国民主権は創造論に由来する。「戦争に惹(ひ)かれやすい人間の罪からくる邪悪性をも考えられるのは、キリスト者だけ。9条の問題もそこから考えるべき」と述べた。

「宗教団体法」の許認可の下では、「権力」に擦り寄らざるを得なかったのが戦時下の教会。立憲主義に基いて発言できる今、弾圧を経験した者として、権力になびくのでなく、何が大事なのか考えなくてはならない。「神社非宗教論」は現代の自民党改憲草案に生きている。改憲派は、現憲法にあるキリスト教的な人間観にキリスト者以上に敏感で、そこを排除しようとしている。そこがなくなるなら、結果として、キリスト者は法的にも行政的にも阻害されることになる。

 

市民が同方向になびく時、教会はどこに立つか

「市民」がものを言えない時代が戦時下だったが、コロナ禍でも明らかになったのは、何かのきっかけで雪崩を打って同方向に向かう日本社会の特質。緊急事態宣言を市民が、マスコミが、求める。白紙委任の怖さが日本人にはない。立憲主義をないがしろにする人たちが、改憲論議をしていることの怖さ。戦前にも、民主主義をなんとか生かそうとする動きはあったが、今はその民主主義の価値自体が揺らいでいる。

「教会」は、その信仰告白を、戦時下では‶精神的なこと‶とした。その時官憲から問われたのは、「本当にキリストが再臨したら国体はどうなるのか」。彼らの方がよほど真剣に「再臨」を考えていた。今私たちに問われているのは、「再臨信仰」の本気度。それは終末意識がどれだけ自分の考え、行動を規定しているかということである。今弾圧がないのは、再臨信仰が脅威となっていないから。終末意識は、天皇制、時代、社会の認識に深く関わる。

最後に上中氏は、「弾圧された歴史を持つということは、物事を考える上でのアドバンテージ。そこから言えることがある。ホーリネス教会は、その意味のある歴史背景を無駄にしてはいけない。この聖会の今後を考える時、その意味をさらに理解し、学び、伝えていく責任があることを、ここで確認したい」と結んだ。