日本基督教団ブラジル派遣宣教師として26年間、ブラジルで宣教してきた小井沼眞樹子さんが、今年3月にその働きを終え帰国。6月19日、神奈川県横浜市港南区の横浜港南台教会とオンラインで、ブラジル宣教報告会が行われた。【中田 朗】

新施設のクレシェ・ジェンチ・ノーヴァで子どもたちと、左端が小井沼さん

小井沼さんは、第Ⅰ期(1996~2006年)は夫の國光さんと共にサンパウロ、第Ⅱ期(09~15年)はペルナンブコ州オリンダ市、第Ⅲ期(16~21年)はバイーア州サルバドールで宣教活動した。
最初に、ブラジル宣教に遣わされる前の土台となったこととして、母の介護体験、サンパウロでの駐在生活を挙げた。「30歳代、3人の乳幼児の子育て期間中、重度の身体障がいを負う母を介護。悪戦苦闘を経て母を看取った時、『いのちは存在するだけで価値があるもの』と知った。この経験がサンパウロでの奉仕活動につながった」、「夫の転勤でサンパウロへ。戦後移民一世が中心の日本語教会、サンパウロ福音教会に所属し5年間、駐在生活を送る中、先進富裕国の一員である自分は、よいサマリア人のたとえ話に出て来るレビ人や律法学者ひいては強盗の仲間ではないかと、キリスト者であることを根源的に問われて第2の回心にいたる。『行ってあなたも同じようにしなさい』とのイエスの言葉が、ブラジル宣教への招きの言葉となって、献身を決意した」
1996年、松本敏之牧師の後任として、夫の國光さんと共にサンパウロ福音教会に赴任。赴任当初から、「広大なブラジルを日本人に紹介したい。百聞は一見にしかず」ということでブラジル研修旅行を企画。この研修旅行は2015年までに11回行われた。

デイ・サロン「シャローム」での魚釣りのイベントで

1999年10月、当時教団議長だった小島誠志牧師から按手を受け翌年、「かねてからの使命」だった高齢者介護のミッションへ。「日系高齢者のための活動を祈っていた」というルージラモス・アライアンス教会のリーダーと協力し、デイ・サロン「シャローム」を立ち上げた。このシャロームは日系社会で初めてのデイサービス活動として注目を集め、他都市や他国の日系団体から見学者が訪れたと言う。「遠いブラジルに移民し、過酷な状況を精いっぱい生きて来られた高齢者との交わりの中、イエスが共におられるシャロームを味わい、すべての参加者にとって笑いの絶えない安らぎと慰めの場となった」。シャロームはその後「デイ・サービス・シャローム」と改名。20 年間活動を続け、日系高齢者の憩いの場となっている。
03年、國光さんが筋萎縮性側索硬化症(ALS)の難病にかかり、06年に召天。2年余りの休養を経て、今度は単身でオリンダ市のアルト・ダ・ボンダージ・メソジスト教会に赴任。日本語を話さない共同体で、言語の不自由、孤独、無力に直面する一方で、「貧しくされている民衆の素朴な信仰、人間性、友愛に多くのことを学び、私自身が新しく主イエスと出会い、信仰を再生された」と語る。

小井沼眞樹子さん

任期後半には、念願のコミュニティセンターを完成。ジェンチノーヴァ保育園の新施設として活用されている。旧園舎はリフォームされ、教会の総合教育プロジェクト(空手教室、ギター教室、子どもの補習教室など)に利用。「将来に希望を見出せなかった青少年たちが、それを見出している」という。「貧しい民衆は、持たない(物質的次元)、知らない(教育的)、、できない(政治的)、存在しない(社会的)の四つの『ない』を負わされている。しかし、彼らはシンプルで強い信仰、愛情深い心、助け合う関係性を持っている。ブラジルの奴隷制の遺産に苦しめられている民衆は『奴隷の家から解放する神』を直感し、現代社会の福音宣教の主人公として存在している。それを知ることができたのがオリンダ宣教の恵みだった」
2016年には、サルバドール市のヴァレリオ・シルヴァ合同長老教会に赴任した。「巨大な貧困地区の一画にある教会で、伝道開始から100年以上の歴史をもつ。その地区に住む信徒は高齢女性3人のみで礼拝出席者は10人に満たない」。将来を考え、新会堂建築とコミュニティセンター改築のプロジェクトを立ち上げ推進。「6年の歳月を費やし、コロナ禍の中、完成させることができた。スマホのビデオ通話による祈祷会を続けて実現に至った。日本の多くの教会、支援者の祈りと資金援助によるグローバルな宣教の成果だった」

サルバドール市で行われたデモに参加。横断幕の中央にいるのが小井沼さん

サルバドールでは、デモにも参加した。「政治社会の不正、腐敗に抵抗し、社会的弱者の尊厳、生存権、平等を求めて行動する教会の在り方を体験した。言葉と行動で宣教する教会だった。不正、腐敗に抵抗していくには、エキュメニカルな連帯が不可欠であることを知った。そのダイナミックな運動の担い手たちの力強いいのちと信仰に浴したことが何より得難い恵みだった。彼らの中に復活のイエスが働いている。それこそがブラジル宣教の喜びと希望だった」
「子育てと介護に追われていた一人の主婦が、ブラジル宣教師として召し出されて四半世紀。夫と同伴の時期は専ら夫の知的理解力や視野の広さに助けられて過ごし、単身でブラジル語の世界に踏み込んでからは能力の限界、孤独、弱さの中でウロウロしながら歩んできた。26年間の歩みは、共に歩んでくださった多くの方々との協働の業に他ならない」
日本基督教団公認宣教師は引退したが、「またサンパウロに戻って、日系の高齢者の方々のそばで、共に歳を重ねたい」と結んだ。

クリスチャン新聞web版掲載記事)