イザベル・タウンゼンドさんプロフィール:
1961年、フランスでピーター・タウンゼンドの娘として生まれる。80年代を代表する商業写真家のブルース・ウェーバーやピーター・リンドバーグらのもとで世界的なモデルとして活躍した。91年にはジョエル&イーサン・コーエン監督作品『バートン・フィンク』に出演し女優としてのキャリアをスタート。2002年、長女の誕生後、フランスの学校で英語によるインタラクティブな演劇プロジェクトを立ち上げ、ワークショップや演劇の演出を通じて若者たちと舞台芸術への情熱を分かち合う活動がライフワークとなる。現在は、夫と2人の娘とパリ近郊に在住。 (C) 坂本肖美

8月5日[金]から全国順次公開されるドキュメンタリー映画「長崎の郵便配達」(監督・川瀬美香)は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)元代表委員を務めた故・谷口稜曄(たにぐち・すみてる)さんと、谷口さんを取材して欧米に紹介した英国人ノンフィクション作家の故ピーター・タウンゼンドさんの出会いと心の交流を描いている。タウンゼントさんの娘で女優のイザベルさんが、父が1984年に上梓したドキュメンタリー小説『長崎の郵便配達』(THE POSTMAN FROM NAGASAKI)を基に長崎の街を訪ねながら二人の生い立ちと核戦争反対への想いを描いている。日本で公開されるにあたりイザベルさんに話しを聞いた。 【遠山清一】

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初対面の監督と共有
できた“共通の使命”

――本作の原案となった著書は、1985年に日本でも翻訳出版され絶版になっていたため再出版の企画が持ち上がったのが本作のきっかけになったと聞きました。川瀬美香監督から著作権や映画化の相談を受けたときは、どのような感想を持ちましたか。

イザベル:2016年に谷口さんのご家族の方からコンタクトをいただいて、日本で再出版したいと相談された時は、とても大切なことだと思っていましたので、すぐに承諾しました。私は、84年に初版本を読んだとき、とても感動しましたし、谷口さんがどういうふうに生き残ったか、原爆を受けた長崎の人たちがどういう風に日々を送ったのか。歴史の面と人間的な面の両方で、もっと知りたいという思いがありました。ですので、日本で再出版したいというお話しは、ほんとうに願ったり叶ったりなことでもありました。

――生前、谷口さんは日本版について、何か物足りない感想を抱いていたようですね。

イザベル:85年の日本語版は、フランス語版からの翻訳でしたが、残念ながらそれは英語版の全訳ではなく抄訳版で、タイトルも英語版の原題ではなく「長崎の子ども」ですから “ひとりの子ども”という意味を指しています。今回は、抄訳ではなくて完全版を翻訳して出版しようという動きになっているので、そのことは原作に敬意を表するという意味でも、大変うれしく思っています。ただ、残念ながら谷口さんは、このプロジェクトが進行中だということはご存じだったのですが2017年に亡くなられていて、18年8月9日に再出版された『ナガサキの郵便配達』(エスパス・ブリオ刊)自体はご覧になれませんでした。また、英語版も2019年に再刊されました。

――川瀬美香監督とは、いつお会いになったのですか。またどのような印象を持ちましたか。

イザベル:2016年です。それ以前から美香さんとは何度もメールでやり取りしていました。私は美香さんに「父の書斎もそのまま残してありますから、ぜひ、私たちのところにいらしてください」と送信しました。ですから、最初に美香さんと会ったのは、(本作)でご覧のように、父の書斎にご案内したときです。はじめにお話ししておきますが、このドキュメンタリーで最初に写っている私の姿は、まったく準備できていないのに、美香さんが撮り始めていたそのままのものなのです。(笑)
その時に、いっしょにランチをしましたが、たくさんお話ししたというわけではないのに「あ、私たちは共通の使命を共有している」と感じました。また、同じ作品を作るんだという意志も感じましたし、このプロジェクトは絶対に継続していこうと決心をしてお別れした感じでした。
美香さんの印象ですが、美香さんは控えめな方で、自分の心の内をあまり明しませんが、他人に対してもとても思い遣りがあって、他人の意見を尊重し、他人の話しに傾聴する人です。私がいま思っているのは、本当にディティールがちゃんと完結しています。それは映画作家ならではの本当によい資質だなぁと思います。感性のとても細やかな人です。私たちの共通項を一つ挙げると、自然が大好きだということですね。

◇ピーター・タウンゼンド(右端):
1914年11月22日~1995年6月19日、享年80歳。戦時中は英国空軍第85飛行隊RAFのリーダーとして英雄的活躍を果たし少佐に昇進。戦後はジョージ6世時代から廷臣として仕えた。女王エリザベス2世の妹アン王女とのロマンスは、映画「ローマの休日」のモチーフになったとも言われる。アン王女との悲恋の後、56年からランドローバーで世界一周旅行に出発。ノンフィクション作家として執筆活動のなかで、戦争被害に遭った子どもたちへの特別な関心を抱くようになり来日して長崎を訪れ、谷口さんと出会い、取材して本作の原案となったノンフィクション小説『長崎の郵便配達』(英語版)を1984年に上梓した。
◇谷口稜曄(たにぐち・すみてる、左隣):
1929年1月26日~2017年8月30日、享年88歳。福岡市で生まれ翌年に母親が逝去。父親は満州鉄道に就職し、幼い姉と兄とともに母方の祖母の家に預けられる。16歳の時、郵便配達の勤務中に被爆。背中一面赤く焼けただれた治療の記録映像は有名。ピーター・タウンゼントの著書『長崎の郵便配達』によって欧米にも紹介され、出版直後にはフランスのテレビでも被爆の悲惨さを証言し、訴えた。2010年6月 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員に就任。川瀬美香監督も取材した2015年8月9日「被爆70周年の平和祈念式典」で2度目の「平和への誓い」を読み上げた。
(C) The Postman from Nagasaki Film Partners

演劇やアートをとおして
若い世代に伝えていきたい

――原案になったお父さまの著書では、川口さんを取材した内容だけでななく、原爆投下にまつわる米国政府と軍部、また被爆国・日本政府と軍部の対応が詳述・分析されています。また、本作では「原爆の実態を証言できるのは私たちだけだ」と語っていた谷口さんの核廃絶への思いと彼の人柄を家族・知人らを長崎に訪ね歩いて追想しています。原作と本作の二つがハーモニーのようにシンクロしているかのようです。イザベルさんは、お二人から受け取ったものをどのように伝えようと考えていますか。

イザベル:私の父の著書とこのドキュメンタリーがシンクロするように、互いに補完し合い一つのメッセージを送っているとおっしゃっていただき感謝します。
私の個人的なプロジェクトは、本作のラストに、子どもたちに演劇を通して子どもたちに谷口さんの実体験を表現するということを紹介していますが、こういう形で伝えていきたいと思っています。彼が原爆被爆者として体験した闘いに光を当てていくのは、おそらく演劇活動なら出来るのではないかなぁと考えています。
このテーマは決して耳触りの良いものではありませんので、なかなか理解されにくいというところもあります。ただ、私が期待しているのは若者です。若者たちは、学校で環境破壊の問題であったり、核の脅威というようなことに対して、今は意識が高くなっていますから、もしかすると若者たちの方が、こうした演劇やアート、あるいは本作のような作品の上映会などをとおして大人たちよりも、もっともっと意識を高く持つことが出来るのではないかなと思います。私はこのことでとても使命感に燃えていますから、長崎で起こったことを、長崎の取材で知ったことを、この作品で学んだことを、決して忘れることはありませんし、伝えていきたいと思っています。

――どうも、ありがとうございました。

【映画「長崎の郵便配達」】監督:川瀬美香 2021年/日本/英語・フランス語・日本語/原題:THE POSTMAN FROM NAGASAKI 配給:ロングライド 2022年8月5日[金]よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー。
公式サイト https://longride.jp/nagasaki-postman/

完全翻訳版『ナガサキの郵便配達』ホームページ
http://espacebiblio.superstudio.co.jp/?p=6891