油井義昭氏

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油井氏は、「第二次世界大戦の最中に起こった日本の教会の政府への服従は、その時初めて起こったことではなく、明治維新、宣教開始の時点に萌芽があり、その時代その時代に政府に擦り寄ってキリスト教を認めてほしいとの動機から出たもので、その頂点が戦時中の戦争協力だった」と語る。
その例として、▽唯一神信仰ゆえに偶像礼拝は拒否、十戒厳守を教会規則に記した横浜公会が、数か月後にはその規則を変更しキリスト教が日本に有害でないことを釈明した、▽大日本帝国憲法発布、教育勅語渙発後、教会は国家との対決・抵抗を避け、妥協の道を取った結果、キリスト教を民族宗教と混合させる道を開いた、▽日本の教会は日清戦争、日露戦争に積極的に協力。1941年、日本のプロテスタント教会は戦争協力のために日本基督教団を設立し、国家の戦争政策に同調協力し、教職者が積極的に戦争遂行への奉仕を実行した、を挙げた。
現在の、ロシアの政治権力と結び付いたロシア正教との類似性も指摘。「権力と民族宗教が一体化するのは危険。今のロシアは1930年代の日本と近似している。私たちは、ナショナリズムと決別した日本国憲法の平和精神・国際平和主義を死守する覚悟はあるのか、と問われている」と結んだ。

児玉智継氏

児玉氏は、「ロシア・ウクライナ戦争の衝撃を受け、防衛費増額の必要性、抑止力の向上、憲法の改正が叫ばれている。『戦争』を志向する時代と言っても過言ではない。こうした時代趨勢(すうせい)に抗し、『地の塩』としてのキリスト者の生き方を一緒に考えることができれば」と話す。
「『教会は信仰的な事柄についてのみ語るべきであって、社会的・政治的な事柄については発言すべきではない。教会は政治的な事柄については中立的できあるべきだ』とよく耳にするが、本当にそうなのか」とも問う。
その問いに対し、こう述べた。「ローザンヌ誓約は『伝道と社会的政治的参与の両方がともにキリスト者の務めである』という、福音の包括的な理解を回復させた。社会的政治的問題は、その意識を持っている誰か特定の人たちだけが取り組めばよいという問題ではなく、福音の真理そのものに関わる重要な問題だ。私たちキリスト者はこの福音を宣べ伝え、この福音に生きることが求められている。そのためには、批判する力と思考する力を鍛えていくことが必要である」
その上で、戦争の時代にどう抗していくべきかについてこう結んだ。「私自身は非暴力、絶対非戦、絶対平和主義というものが聖書の原則的な教えだと思っている。主イエスは軍馬ではなくロバの子に乗ってエルサレムに入城されることで軍事的・政治的なメシア像を拒否された。私たちは、聖書が示す『現実の世界』を創造していかなければならない。平和づくりは孤軍奮闘でなく共同体的、教会的な取り組みだ。私たちは地の塩であることを覚えつつ、戦争を志向する時代に抵抗する者でありたい」【中田 朗】

クリスチャン新聞web版掲載記事)