テクノロジーは「道具」ではなく「物語」の一部だ IT宣教の潮流・考察⑦
Photo by Jasper van der Meij
前回はテクノロジーと神の物語について創世期冒頭部から読み解いた、ジョン・ダイアー氏(ダラス神学校学部長兼教授)の講演録の続き。(記事原題:Where Does Technology Fit in the Story of God?
A Theology of Technology for Coders and Artists. 配信元https://medium.com/faithtech )
前回は テクノロジーは神の物語 のどこに位置する? IT宣教の潮流・考察⑥ 2022年07月31日号
ノアと方舟
ノアの方舟の物語は、様々な美しいものや動物を船に乗せるという、子どもたちに読ませるには打ってつけの物語である。その中で「創造的な行為によって人類を救おうとしている」という神のメッセージが読み取れる。そしてこの物語もイエスの働きに重なっている。
正しい人が木で作られた物の上で、死と壊れた世界を乗り越える。最終的にノアは、新しいリーダーとしての役割を果たせなかった。別の誰かが必要だったのである。これは神が「人が作るものは大事だから、何度も繰り返し物語の一部を作らせよう」と言っているのだろう。
人がバベルの塔のような悪のために使うものを作ったとしても、神はそれを壊さない。その代わり神が介入し、状況をハッキングして、人の罪の贖いにつながるように、つまり人が造られた目的である「増えて地に満ちること」に戻れるように方向転換させる。
イエスと十字架
さらに物語が進むと、イエスが、ギリシャ語で「テクトン」と呼ばれている場面がある。その言葉は「テクノロジー」の語源となるギリシャ語である。イエスは木や釘を使う職人だったので、「大工」と訳されている。 この物語の中心とされているのは、様々な理由をつけて、どのようにイエスを殺そうか謀られていた場所だ。例えば首を絞められて殺される可能性もあっただろう。しかしイエスは、私たちの犠牲となって死ぬために、人の創造力が使われた方法を選んでいる。ここでは職人として使っていた木と釘が、イエスが死ぬためのテクノロジーとなった。
この信仰の土台となる希望の物語は、人の創造力、つまり悪いものを、神が何とかして良いものに変えてくれたということを抜きには語れない。物語終盤の造り変えられる場面まで進めると、人はエデンの園に帰るわけではない。しかし道路やラッパや旗など、人が作ったものすべてを、神は聖いものや良いものに満ちた新しい世界に使ってくださる。だから、私たちが今作っているものは、その場所に存在しているかもしれない。
神は、人が作るものを壊したいのではなく、それを人が栄えるためのものに変えたい。だからこそ、「ただテクノロジーが物語を伝えるのに有用だからというだけではなく、テクノロジーは、実は神の物語の一部だ」と言っているのだ。私たちの今の取り組みはあくまで神の物語に組み込まれた一部であり、現在だけではなく、未来に向かって続いている。(つづく)
(クリスチャン新聞web版掲載記事)
この記事は国際的なデジタル宣教ミニストリー「FaithTech」(フェイステック)が発信する記事サイトから「FaithTech日本」の協力で翻訳掲載します。