森祐理さんウクライナ現地を訪問

日本への伝言「ただ平和であって」

ブチフ小学校避難所にて

ハンガーゼロの親善大使を務める福音歌手の森祐理さんが、8月14日から当初1週間の予定で、ウクライナ避難民支援の旅に赴いた。行き先は500万人もの避難民を受け入れているというポーランドと、ウクライナ西部の避難所。困難を極めた旅だったが、だからこそ「ウクライナの人々の痛みを体中で体験することができました。神様が今劇的に動いている世界を見せてくださったように思います」と、祐理さんは大きな意義を感じている。【藤原とみこ】

ポーランドのワルシャワに降り立つと、本当に隣国で戦争をしているのかと思うほど日本と変わらない様子だった。支援物資を車に満載して、避難所のある国境の町プシェミシルに5時間かけて移動。翌朝、人道支援ルートを通ってウクライナの西部に入った。
「ウクライナに入らなければ、どれほど深刻な状況なのかわからなかったと思います」
当初の目的はポーランドにいる避難民に向けたコンサートの予定だったが、急きょウクライナにも入国することが決まった。エステル記4章14節のみことばに押し出され「神様に従うしかない」と、意を決したという。
ウクライナの農村地帯はのどかで、昔のロシアの農村を思わせる古びた美しい風景が広がっていた。初めて地平線まで続くひまわり畑を見た。

極限状態で歌が希望に

リビウという町の小学校の避難所は、激戦地東部から来た家や住んでいた街さえ失った人たちでいっぱいだった。明るく元気な女性に声を掛けると、夫が7月に戦死したと打ち明けた。女性たちは厨房で大きな肉まんを何百個も作っている。戦地の兵士たちへの食糧だ。みんなができることをしながら、戦争が終わるのを待っていた。
「皆さん気丈にふるまっていても、深く傷ついておられました」
突然の爆撃で片足を失った女性もいた。戦地に向かう父親と別れを惜しむ母子が車に同乗した。妻と小さな子ども2人を置いて行く若い父親は、一度も後ろを振り返らなかった。
小学校や教会で祐理さんは大喜びで迎えられた。
「ある人は、歌を聴いて張りつめていた気持ちが緩み、希望が与えられたと言ってくださって、この人のためだけでも来てよかった。私自身も極限状態でしたが、この言葉に涙が出ました」
日本へのメッセージを頼むと口々に「平和でありますように」と、言ってくれた。
「みんなの願いは、政治がどうかではなく、ただ平和であってほしいということ。普通の暮らしがしたいということでした。これまで口にしてきた平和ということばが、重たく深い響きを持って胸に迫ってきました」
現地教会の牧師から、また来年に来て歌ってほしいと言われた。戦争が終わっていますように。祐理さんは心から願った。
「終わっても心の支援は続きます。平和になったウクライナをもう一度訪ねたいと思いました」
今回の旅は同行者全員がコロナにかかり、帰国ができずポーランド国内待機となったが、それゆえに現地の人々と深く交流することができた。ワルシャワに戻り、ウクライナ人教会の集会で歌うと、みんな「ビューティフル!」と言いながらハグしてくれた。日曜日の礼拝ではワルシャワバプテスト教会のウクライナ人礼拝に出席できた。会堂からあふれるほど集まった人々が涙ながらに祈りを捧げていた。8月24日のウクライナ独立記念日には避難民らが広場を埋め、祖国の平和を祈る人々と心を合わせることができた。
祐理さんは今年、福音歌手として活動を始めて30周年を迎えた。日本全国はもとより、世界各地に歌による「心の救援物資」を運んできた。その行き先の多くは、災害被災地や飢餓や貧困の国、刑務所などの体や心の痛みに苦しむ人々がいる所だった。
「30年の節目に神様がこのような世界を見せてくださったことは、大きな意味があると感じています。見せられた者は伝える責任がある。何よりも大きな救援物資は神の愛です。
神の愛こそが、世界に本当の平和を与えてくれると信じます。その希望を、福音歌手として使命をもって伝えていきたい…。そう心に刻むことができました」

爆撃で左足を失った女性のお見舞い
ボリチャ小学校で歌う森さん