【特集】「コロナ世代」に何が必要か 学校・大学・神学校

新型コロナ感染拡大から2年が過ぎた。多くの学生にとって、学校生活の大半をコロナ禍の「新常態」で過ごしてきたことになる。その影響下の学生を「コロナ世代」と呼ぶこともある。対面授業、行事、交流、活動の機会が縮小された現実があるが、今後どのような影響を与えるか。若い世代にどのようなフォローが必要か。さらにこの状況下で見えてきた新たな可能性、希望とは。

「一人も残さず活かすために」 恵泉女学園学園長 廣瀨薫

闇の中でこそ光を放つ 「聖書」を礎とする幸い 金城学院高等学校  宗教主事 沖崎 学

つらいことばかりではない 「あなたと共にいる神」の希望 大阪女学院中学校・高等学校 副校長 山﨑哲嗣

人との接触、サポート減ったが、 新たな交流や教会を考える機会に 大阪聖書学院 学院長 岸本大樹

失うという経験を通して見出す光  新潟聖書学院 院長 塚田 献

「一人も残さず活かすために」 恵泉女学園学園長 廣瀨薫

恵泉女学園学園長 廣瀨薫

 

新型コロナ感染症が第七波に入り、行政はかつてのような厳しい行動制限は課さず、社会は感染リスクを抱えながら様々な活動を再開しつつある。

人々の姿勢は楽観から悲観まで多様で、三年ぶりの活動再開を喜ぶ方々もあり、不安や孤独や生活苦の中に日々を過ごす方々もある。突然の感染症やウ露戦争が世界を揺さぶった影響の深さ広さを注視しながら、新しい対応を求め続けねばならない時代である。

 

◆ 感染症対応で失ったものと得たもの

 

2020年3月、WHOが新型コロナの世界的流行を宣言した当初、行動制限により従来通りにできなくなったことは沢山あった。学校では授業が対面でできなくなり、礼拝に集まることを自粛した教会も多かった。そのような事態は私たちに、今まで当たり前のようにしてきたことの「本質」は何かを考えさせる機会となった。

「教育」の本質は何か。「学校」は何のためにあるのか。「礼拝」は何を実現する場なのかという根源的な問いである。そして、活動にどれほど制限がかかっても、「新型コロナゆえにできない」というのではなく、「本質を実現し続けるための工夫」が模索され、実践された。

多くの対応がなされた。授業をオンラインで実施するために、驚くべき速さで設備が整えられた。消毒設備の配置、透明板による隔壁設置、部屋の換気量の計算とそれに基く人数制限、など。ハード面だけでなくソフト面でも、三密の回避、黙食などの新しい行動様式が広がった。

 

それは、喪失をもたらしただけでなく、新しい展開の機会ともなった。
オンライン講義や集会によって、それまで距離に妨げられていた方々とのコンタクトが実現でき、集会への参加が対面の時よりも増える経験をした。またそれは、聖書を新しい光の下に読む機会ともなった。例えば、「使徒の働き」を見ると、各章毎に絶え間なく宣教活動への妨げがあったことが分かる。迫害で散らされる、指導者と会えなくなる等の事態に、彼らはいかに対応したのか。そこに私たちの逆風に対応する様々なヒントがあった。

さらに、キリスト教2千年の歴史は、新しいメディアを神の国のために活用する工夫の歩みであったことにも目が開かれた。神の民は時代状況に身を置きつつ、常に新しいスキルを身に付け、困難に立ち向かってフロンティアを切り開いてきた。

しかしだからといって、新型コロナの影響を肯定的に見たいのではない。例えば、対面授業を失った時、オンラインで教育の本質は保たれたと、簡単には言い得ない。

失われた一過性の時間は、取り返しがつかないのだ。触れ合いを失い、宿泊を失い、空気を共有する語り合いや雑談を失った。新しい工夫に手応えを感じたとしても、埋め合わせられない失われた要素の評価をおろそかにしてはならない。

 

「二元論」でない世界観で

メインガーデン(大学・多摩キャンパス)

現時点での対応について、今思うことを箇条書きにする。

 

 ①最も大切と思うのは、生徒学生の「世界観」への影響である。

これから長い人生を生きる若い人たちが、「この世界は得体の知れない恐ろしいことが起きる、悪い所だ」という、不安や恐怖を基調とした否定的な世界観に染まって萎縮しないように留意したい。キリスト教の世界観は、神が創造した世界は「見よ、それは非常に良かった」(創世期)という出発点を持っている。神は良い世界を私たちに委託して、神に導かれ、神と共に、さらに良い世界を築き上げることを期待して、各人に良き使命を与えている。良く造られた尊い自分と隣人を喜び、日々を喜び、感謝し、期待感をもって積極的にチャレンジし、自分を活かし世界を良くする歩みに希望をもって向かわせる教育が、大切な時である。

 

 ②本質的に何を達成しようとしているのかをいつも意識したい。

何をするかしないかを考える時に、その「上位目的」を必ず意識する必要がある。目的と手段を転倒させると形式化してしまう。教育の目的は、神に創造された「神のかたち」である生徒学生が、尊い人格を持つ個人として、本来の姿に成長成熟していく歩みを実現するところにある。

例えば、筆者が担当している聖書科の授業の目標は、「どんな時にも自分を大切に生き抜く力を身につける」としている。「自分を活(い)かし、周りを活かす」生き方を考え実践することが、今の時代の日本(ジェンダーギャップへの取り組みがいつまでも遅れている日本)における女性教育の大切なポイントと考えている。それはイエス・キリストが教えた、「自分を愛するように隣人を愛する」ことにつながる。さらに、恵泉女学園の創立者河井道が理解したキリスト教が、「第一に自己を尊重する。第二に他の人を尊敬する」と表現されていることと同じベクトルを持っている。

③対応策は両極端に求めるのではなくバランスを考える。

行事を検討する時、「全面実施」か「全面中止」の二者択一の議論にならないようにする。キリスト教は二元論ではなく、長短両面・善悪両面を総合的に視野に入れた「キリスト教世界観」(創造、堕罪、救済、完成)に立って物事を考える。危機管理態勢を整えつつ、なすべきことは萎縮せずに伸び伸びとなされるように、好ましい全体像をバランスよく実現することを目指す。

例えば、宿泊行事を実施する時、事前の検査はもちろんのこと、手洗い・うがい・消毒を励行し、万一の発症時には保護者による送迎態勢を事前に用意し、さらに、就寝の際には隣り同士は頭と足の方向を互い違いにし、寝具の境界に荷物を配置するなど、万全の準備をもって進めている。生徒たちが、昼食時の黙食など、見事な対応を見せて抑える所は抑えつつ、活動は伸び伸びと喜びにあふれて行なう姿に尊敬の念を覚えている。

 

神の国の祝福広げるモデルに

 

メディアセンター(中高・世田谷キャンパス)

 

 

 ④対応策は「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」でありたい。

オンラインで実現できていれば、対面は不要だということにはならない。パウロは、会えない仲間に手紙を書くと共に、使者を送り、自分も行く機会を得ることにこだわり続けていた。

⑤全体の対応を考えると共に、個別にも配慮する。

オンラインでは満たされない個人がいる。対面を恐れる個人もいる。対面とオンラインの混在にストレスを受ける人は多いと言われる。自分と同じように行動しない他者に苛立(いらだ)ちを覚える人もいる。新しい経験の影響は進行中であって未だ定まっていない。当事者が発する個別のシグナルを注意深く扱いたい。

⑥決断をする責任者は、責任を引き受ける。

対応について意見が分かれる時、それぞれを踏まえた上で、責任者が決めなければならない。その結果が良くないことも当然あり得る。その時は、責任者が責任を明確に引き受ける。そうでないと一致して行動できない。そして責任を引き受ける者を、組織は審(さば)くのではなく支え、愛と赦しのある協働の態勢をもって前進したい。

⑦組織の論理と共に社会全体への視野を持つ。

新型コロナは教会あるいは学校だけの孤立した経験ではない。社会の諸分野で起きていることも大いに参考になる。例えば、企業で急速に採用されたリモートワークは、かなりのメンタル不調をもたらしているという研究もある。教会や学校は、全ての人が活かされて共に喜んでいる平和な世界である神の国の祝福を広げる拠点として、社会全体の課題を共有し、他領域の知見を活用し、モデルを示すものでありたい。

 

いつの時代も、生徒学生を一人も残さず活かすために、この世の出来事を注視し、生徒学生の姿を注視し、適切な対応を聖書から、諸専門分野の知見から、経験の蓄積から、絶えざる祈りと工夫によって重ねてゆきたい。

2022年09月18日号別刷掲載記事)