「聖化」は信仰者の生き方に関わる重要テーマだが、いわゆる「きよめ派」とそれ以外の教派の間でしばしば議論を呼んできた。そうした中で、近年きよめ派内でも「聖化」の理解を神学的に再考しようとする動きがある。このたび翻訳出版された『聖化の再発見』の下巻に収録された鎌野直人氏の解説「聖書的な視点から聖化を再発見する」から、一部を抜粋して紹介する。

解説 鎌野直人

アズベリー神学大学院M.Div.課程修了。関西聖書神学校研修終了。イェール大学神学部S.T.M.課程修了。ユニオン神学大学院(バージニア)(現ユニオン長老派神学大学院)Ph.D.課程修了(聖書学)、哲学博士。専門は旧約聖書学。現在、関西聖書神学校校長、日本イエス・キリスト教団姫路城北教会牧師、AGST/J Th.D.課程主任。著書『エペソ人への手紙に聴く 神の大能の力の働き』、『聖書六十六巻を貫く一つの物語 神の壮大な計画』、訳書 N.T.ライト『イエスの挑戦』監訳(以上いのちのことば社)、W.ブルッゲマン『預言者の想像力』(訳、日本キリスト教団出版局)がある。

神が聖であるから聖であれ、基に

近年、米国ナザレン教団はその創立百周年を記念して、聖化の神学の理解の歴史的変化を振り返るとともに、聖化を「リノベーション」するとはどういうことか、という問いに対する多様な意見をまとめ、出版している。このような形で「聖化」について再検討が始められている背景には、北米ナザレン神学校のミルドレッド・ワインクープ(1905~1997)やトレベッカ・ナザレン大学のH・レイ・ダニング(1926~)ら、比較的早い時期から聖化の神学を再検討してきた学者たちの存在があったと想像する。英米圏においては、ナザレン教団以外のきよめ派教会でも同様の検討が行われてはいる。
このような歴史的背景の中で、英国のきよめ派教会の季刊誌に英国ナザレン神学校の教授たちが21世紀初頭に連載したものを、全世界に先駆けて一つの書籍としてまとめた本書『聖化の再発見』の翻訳出版は、日本のきよめ派教会にとって画期的な出来事である。まず、米国ではなく、英国のきよめ派の著作が出版された点は特筆すべきである。上巻の前書きで藤本満氏が簡単に触れてはいるが、本書は、米国のきよめ派の影響を強く受けつつも、英国らしさに満ちた書籍である。(中略)上巻のあとがきで大頭眞一氏が記しているように、聖書的聖化をきよめ派教会を越えたより広い世界にむけて宣証する一歩となっている。
本書は上巻が序を含めて26章、下巻も26章、合計52章から構成されている。全体は、上巻の序および1章、2章で本書全体の問題設定がなされたあと、3章から19章では旧約聖書が取り扱われている(なお18章と19章では旧約聖書における聖霊に焦点が当てられている)。20章と21章は古代教会における聖化が取り扱われ、22章と23章は時間と空間における聖性について、そして24章ではホーリネスを取り扱う際に言及されるルドルフ・オットーについて書かれている。さらに上巻25章および下巻では新約聖書が取り扱われている。このように本書では、連載されたものがほぼ正典の順に並べ直されている。あたかも「聖書的視点からの聖化」という英国ナザレン神学校のモジュール(授業)を履修しているかのように、本書は読者を導いてくれる。
「聖書的視点」から聖化が取り扱われていることは、多くの筆者が聖書学の専門家であることからもわかる。旧約聖書の部分の主著者は、ゴードン・トーマス氏(聖書学が専門)とドワイト・D・スワンソン氏(旧約聖書と死海文書が専門)であり、新約聖書の部分の主著者は、福音書およびパウロ書簡におけるホーリネスについての著書があり、新約聖書におけるホーリネスを取り扱う論文集の編集者であるケント・ブロワー氏である。彼らの聖書学的見識があるからこそ、きよめ派教会がこれまで受け継いできた伝統やことば(たとえば、「聖なること」、「完全(全き)」「罪」、「聖霊」など)が「聖書ではこれらのことばは何を指しているのか」という視点から、健全な意味で批判的に検討されている。教会史に関する章は、ウェスレーの専門家であるハーバード・マゴニカル氏と組織神学者のデイビッド・レイニー氏が担当しており、そこでも彼らの専門性を感じることができる。
さらに、「聖書的視点」から聖化を取り扱っている点は、本書が繰り返し「あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである」(レビ記19・2)のことばに立ち返っていることからも顕著である。つまり、、、、、、、

2022年10月16日号掲載記事)

英国・ナザレン神学校著 『聖化の再発見』上・下

大頭眞一と焚き火を囲む仲間たち訳
四六判・288, 296頁 いのちのことば社 定価各2,200円(税込)