震災、戦災を乗り越えた鐘

横浜海岸教会外観

 

1872年10月、日本で初めて鉄道が開通し、ガス灯が横浜にともった時、人々は「キリシタンの魔法」と呼んだという。それだけキリスト教の勢いがあったということか。

すでに、その年の3月10日に日本初のプロテスタント教会「日本基督公会」(現横浜海岸教会)が誕生していた。そこから東日本を中心に各地に宣教が広がった。着実な教会活動が進む一方、時代の中で、教会の存続の意義を問い直し続けた150年でもあった。横浜海岸教会の歴史と現在を訪ねた。

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1923年の関東大震災では会堂が倒壊したが、33年に現会堂を再建。震災、戦争を乗り越え、現在は礼拝前に、聖書の巻数66回の鐘の音が港に響く。

当初教派を超えた教会を目指した「公会」であったが、改革派・長老派の流れに合流。戦中は日本基督教団に合同したが、戦後は離脱した。所属を巡って揺れ動いた後、1959年に、現在の日本キリスト教会に加入した。

 

教会から開港記念公園、大さん橋を望む。

横浜海岸教会北側の開港広場公園は、日米和親条約締結の地であり、横浜開港資料館が隣接し、一体感のあるエリアとなっている。さらに北側には、海に伸びた大さん橋、右手に山下公園、左手に赤レンガ倉庫…と観光スポットが立ち並ぶ。教会も一つのランドマークとして、横浜市と保全活用の調印を結んでいる。

 

「150年は通過点」宣教の使命新たに

 

礼拝堂内部

「150年はあくまでも通過点です」。現牧師の上山修平さんは語った。それは二千年の教会の歴史を重んじるからであり、「ただ聖書に基づくと言うだけでなく、初代教会以来の聖書釈義の上にしっかり立った聖書の御言葉の解き明かしに聞く礼拝が伝道の最前線」と話す。

そのため、上山さんは2010年に就任すると、従来の平日の祈祷会を「聖書を読み祈る会」と改めた。「聖書の御言葉にしっかり聞くことが信仰の基本。この会では旧約聖書の魅力を味わっています」。教理史や教会史を学ぶ読書会も行って来た。また、「横浜海岸教会報」は教会員同士の理解を深め合うためのものとして喜ばれている。

教会堂の老朽化が長年の課題だったが、、、、、、

2022年12月18・25日号掲載記事)

 

〇「日本の教会史全体で意義」

 

横浜プロテスタント史研究会代表の岡部一興さん(日基教団・横浜指路教会員)は、『横浜海岸教会150年史』編纂に関わった。横浜海岸教会員の川村洋士さん、飛田妙子さんも同研究会の会員。同教会について岡部さんは「日本のプロテスタント教会はここから生まれた。日本の教会史の全体像から見る必要があった。教会一致運動やその破綻など様々な歴史があった。教会は罪人の群れであるが、神の栄光を表わす救済史的視点が重要」と話す。12月17日午後2時から指路教会で岡部さんが『150年史』に関して講演。TEL045-894-7010

 

〇開港資料館で展示

横浜海岸教会の歴史資料は隣接する横浜開港資料館で寄託保存されている。同館では12月末まで関連資料のパネル展示が開催中だ。