D6ファミリーカンファレンス⑨ 神の民として生きる弟子訓練 「どのように、そして何を教えるか」
D6ファミリーカンファレンス⑨ フィル・ヴィシェル氏「どのように、そして何を教えるか」 神の民として生きる弟子訓練 シンプルかつ単純化しすぎず
アジア福音同盟女性委員会・子ども委員会主催による「D6ファミリーカンファレンス」が6月9日から開催され、基調講演とともに多くのセッション、ワークショップ(WS)が行われた。その内容を連載で紹介する。第9回は、野菜のキャラクターによる聖書物語「ヴェジテールズ」の制作者フィル・ヴィシェル氏が、子どもたちに教えるアイデアを分かち合う。
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「何を」「どのように」教えるかについて語る前に、まず問いたいことは「小学校3年生にわかるように、伝えているだろうか」ということである。私たちは子どもたちの理解力を過小評価しがちであり、大人の学ぶ力を過大評価しすぎだということである。子どもたちは、学びのプロであり、表面的ではなく、深く考える力を持っている。彼らに伝えることができなければ、だれにも伝えることはできないであろう。
では、まず「何を」教えるのか。当然「福音」を教えるのである。「福音」とは、単にイエスの十字架の死による罪の赦しだけではない。私は25歳の時からヴェジテールズを作成し始めたが、それは「聖書的価値観」と「根拠となる聖句」そして、それを「記憶に残る歌」にのせて提供するものであった。10年後このプロジェクトが成功しているのをみると、他の会社も、そしてついには教会学校までもが、この「聖書的価値観」と「根拠となる聖句」のみを教えることをし始めた。
しかし、それではダメなのだ。教会は、イエスの歩みを、神学を、教義を教える必要がある。イエスがマルコの福音書1章で「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)とおっしゃったとき、まだ十字架の贖罪はなされていない。ユダヤ人がイエスの声を聞いたときに理解したことは、すべての旧約聖書の約束が成就する、その時が来たということである。 「福音」とは、聖書全体を通して、人は神に創造され、神と共に生き、新天新地においてすべてを神と共に治める存在であるという良い知らせなのだ。罪の問題が解決されたらそれで終わりではなく、神の国の民として生きていくこと、それを学ぶのが弟子訓練である。
レビ記を21世紀にどう理解するか、どうしてイスラエル人はカナン人を聖絶することが許されたのか、そのような難しい問いを、小学校3年生に分かるように考えていくことは、当然その40代の父親にも届く、魅力的な「福音」なのである。
それでは「どのように」教えるのか。シンプルに、しかし単純化しすぎないで伝えることである。私がいちばん大きな影響を受けた人物は、アメリカのテレビで30年以上放映された子ども向け教育番組「ミスター・ロジャースのご近所さん」の制作者、フレッド・ロジャースである。彼は子どものための865話のエピソードを作るときに、「昔は自分も子どもであったこと」を思いだしつつ、人々の心をつかむように、背後にある感情に訴える方法で、番組を作っていった。
また、たくさんの歌をつくった。繰り返し、繰り返し、歌にのせて聞くことは、覚えるのに最適な方法なのである。詩篇とはまさに、この歌である。また、私たちは常に「新しいこと」を言う必要はない。イエスの物語を、信条を「繰り返す」ことはとても有効な手段である。私たちは、生涯通してインパクトを与える素晴らしい「福音」を、「正確に、確信をもって、心・感情に結び付け、記憶に残るように、繰り返し」教えるのである。
(2022年10月16日号掲載記事)