【連載】共感共苦(コンパッション)―福祉の視点から⑥ 認知症と教会
「行ってもつまんない、僕は行きたくない」
木原 活信 同志社大学社会学部教授
「胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す」(イザヤ46章3~4節)
認知症は日本では現在、推定600万人以上となり、そのうち行方不明者は1万7千636人を数え、深刻な社会問題となっている。高齢化がすすむ教会でも、これは大きな課題となりつつある。残念ながら認知症に偏見と誤解もあり、気づかずに当事者の全人格を否定し、傷つけ、その尊厳を奪うことをしてしまっていることすらある。かつては若い頃から熱心に教会に通っていた高齢者たちが、認知症となったことを契機に、教会との関係も切れてしまうということも珍しくない。
ところで、2021年に召された長谷川和夫医師をご存じであろうか。クリスチャンであった先生は、長谷川式スケールや今日のデイケア・プログラムなどを提唱し、文字通り認知症研究、実践の第一人者であった。その先生が、晩年に認知症になられて、当事者として自らを語るNHKの番組「認知症の第一人者が認知症になった」は大きな反響があった。長谷川先生の認知症の生活、家族ケアのなかで生きておられるありのままの姿が放映されていた。印象に残ったのは、先生が提唱され、今やおなじみになった認知症患者のデイサービスに、自ら利用者として参加する際のやりとりである。認知症当事者の長谷川先生は、それがよほど嫌だったようで、「行ってもつまんない、僕は行きたくない」と、娘さんを困らせていた。リハビリの一貫としてボールのような玩具で遊んでいたデイサービスの場面が放映されていたが、そこに参加されていた先生は終始硬い表情で、笑顔一つもなかった。その後の認知症高齢者相互の交流の時間でも誰とも会話せずに一人孤立しておられるようであった。「ひとりぼっちなんだ、あそこに行っても…」とデイサービスに行きたくない理由を家族に訴えている。娘さんから「でもお父さんが始めたことでしょう、デイサービスって…」と諭されても、まるで駄々をこねる子のように「デイサービスは行かない」と一点ばり。奥さんの負担のために行くように勧められ、挙句(あげく)の果てに「僕が死んだらやっぱり喜ぶかな」とまで言ってしまっていた。よほどそこには行きたくなかったのであろう。
当事者経験こそ共感共苦の原点
この番組から教会のこと、福祉のことを考えさせられた。私自身も社会福祉の専門的支援を「教え」ているが、自分が当事者になったとき、それは本当に説得力があるのかと迫ってきた。自分がその立場になってはじめてわかることがある、、、、、、
(2022年10月16日号掲載記事)