人口減少、災害、コロナ禍、戦争、カルト問題…中長期的な課題を含め、2022年も、クリスチャンにとって教会や伝道の在り方を考えさせる時となった。この時代、変わらぬ御言葉を携え、様々な領域の人と関係を築き、教会を形成し、いかに人々にイエス・キリストを証ししていくか。各神学校に教育の力点とともに聞く。

信仰共同体で育まれる献身者 日本聖書神学校 校長 神保 望

 

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている」(マタイ11・16、新共同訳以下同)。これは今から約二千年前に遡る時代に生きた人々の日常生活の中で語られた主イエスの御言葉です。その意味するところは、続いて記されている「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」(11・17)との御言葉から理解することが出来ます。

これは旧約の預言者に代表される主の証人たちがメシア到来を宣べ伝えたにもかかわらず、信じなかったばかりか眼前におられるお方が来臨のキリストであることすら気付かない人々に対する戒めに満ちた御言葉です。礼拝説教によって福音を受け止めても、各人の日常生活になかなか反映されない場合のもどかしさに通じるものでありましょう。

新型コロナウイルス感染症の収束の見通しが立たないもどかしい状況下、出口の見えない漆黒の闇の中を進むような閉塞感が社会全体にまん延しています。それは教会においても同様であり、感染防止の取組みも進んだことから「withコロナ」の旗印の下、従来の平静な日常を回復しようと努めても依然として教会に集えない人々が多くおられます。

コロナ禍によってもたらされたものには、リモート(遠隔地)による礼拝の技術革新がありますが、これは教会活動を継続する手段としては大変画期的でありましょう。しかし、キリストの御体なる教会に集えない人々からすると、聖霊による一致は確信しても神の民(信仰告白)共同体の一員である実感が希薄化される流れを止めるには至っていません。約二千年後のコロナ禍によって諸教会が抱える信仰的課題は、かつて主イエスが語られた「今の時代」の風潮によって生じた課題との間に共通点を見ることが出来るのです、、、、、、

2023年01月01・08日号掲載記事)