映画「母の聖戦」――愛娘を誘拐され奈落の苦境から実行犯を追い詰める母親の苦闘
日本では、身代金目的の誘拐事件の解決率は97%、実行犯側の成功率はほぼ100%に近いといわれる。だが、中南米のメキシコでは現在でも身代金目的の誘拐事件が横行している。犯罪組織にとって誘拐は功率的なビジネスになっている。その現実をこの作品は、わが子を犯罪グループに誘拐された母親が数年かけて実行犯たちを探し出して警察に逮捕させた母の実話をモデルにルーマニア出身でベルギー在住の女性監督がフィクション長編映画のデビュー作品として世に送り出している。愛する子どもを奪われ、安否の分からないまま何年間も苦悶する奈落の底に落とされた母親たち。向け先の分からない闇に向かって「子どもを返して」と呻吟する胸の奥からの叫び声が伝わってくる。
高額な身代金、行方知らずのわが子、
動かない警察、そして知人の裏切り…
母のシエロ(アルセリア・ラミレス)は、自分の部屋を散らかしたままで片づけない娘ラウラ(デニッセ・アスピルクエタ)に小言いうが、まだ十代のラウラは彼とデートの約束の時間が迫っていて聞き流す。化粧気のないシエロにいたずらっぽく口紅をさしていそいそ出かけていく。しばらくすると、電話がかかって来た。聞き覚えのない男(プーマ:ダニエル・ガルシア)の声で呼び出され、娘を返してほしければ15万ペソと旦那の車を寄こせと脅迫される。気が動転するシエロ。とにかく離婚した前夫グスタボ(アルバロ・ゲレロ)の家に行く。警察の届ければ、なぜかすぐ犯罪組織も察知して誘拐した者を躊躇なく殺されることが常識化している社会。グスタボは、警察に届けずしぶしぶ金を用意し、シエロと一緒に車で指定場所へ向かった。実行犯グループは、銃で脅しながら手際よく金を入れた袋を受け取り、15分後に墓地の前で娘を解放すると告げるとグスタボの車に乗って立ち去った。だが、その夜、ラウラは解放されなかった。
翌日、プーマから呼び出しの電話を受けたシエロ。グスタボが要求する金額の半分しか用意しなかったため、残りの金と5万ペソの上乗せを要求してきた。グスタボに伝えに行くと現金が足りないという。その場にいた仕事仲間のドン・キケ(エリヒオ・メレンデス)が、グスタボの店の商品を買い取って工面してくれた。だが、今度もラウラは解放されなかった。
事件から6日後、業を煮やしてシエロは警察に届け出た。そっけない対応を受けるが、諦めず軍隊の司令官にも直訴すると一応連絡先のカードを渡された。じっとしてはいられず、自分でもプーマたちと交渉した場所や街を探し回る。女性死体のニュースを聞けば遺体が保管されている葬儀社にも確かめにいくシエロ。そうしているうちに息子を誘拐された母親が経営する雑貨店で女性リーダーの犯罪グループの情報を得てそのアジトを突き止めたシエロ。何日か見張っていると、見覚えのあるプーマの仲間がアジトから出てきて、ドン・キケが運んできた荷物の運び込みを手伝っている。娘を誘拐した実行犯行グループのメンバーとドン・キケがなぜ繋がるのか。アジトを監視していたシエロを誰かが観ていたのか、その夜、シエロの家に銃弾が撃ち込まれシエロの車が燃やされた…。
地獄を経験し悲嘆にあえぐ
母親たちに寄り添いたかった
頻発する誘拐事件の被害者の生死は、多くの場合分からない。警察に届け出れば犯罪組織は、見せしめに死体にして道端に捨てられたりする。被害者家族への身代金要求するのは、実行犯グループとは限らない。金だけ巻き上げようとする犯罪組織もある。危険な情況に包み込まれていくようなシエロだが、娘を取り返したい、安否を知って捜したいと言う思いは消えない。前夫に身代金や娘の救出を頼ろうとするが、あまり前向きではない。事件を届け出た警察もほとんど何もしない。軍の新任将校は捜査権がないため表立って行動できないが、シエロの情報には協力的な対応を示してくれる。行き場ない思いを家に帰りロウソクを灯して祈るシエロだが、神から声が直接聞こえるわけでもない。だが、シエロッは諦めない。地道に犯行グループの情報を集めて一つひとつ自分の足で確かめていく。闇の中に放り込まれている娘を救出するためには、たとえ危険であっても自分が行動するしかない。
ドキュメンタリー映画作者のテオドラ・アナ・ミハイ監督は、シエロとよく似た経験をしたメキシコ人女性の話を聞いて、彼女が犯人グループを捜索しているときから彼女を撮影し、一緒に情報収集の旅にも同行している。だが、母親たちの想いに寄り添いたいと決意したミハイ監督は、ドキュメンタリーではなく本作のフィクション映画づくりに取り組んだ。実行犯グループのリーダーがシエロに「俺に恥をかかせたお前は、神に裁かれる」と責め立てるシークエンスには、暴力での凄惨な地獄と異質の魂をぶつけ合う霊的な闘いさえ感じられる。闇に覆われていくような緊迫感と心痛の日々に、ラストシーンで見せるシエロの表情は、寄り添ってくれる存在があることの光が描かれているようで印象深い作品になった。 【遠山清一】
監督:テオドラ・アナ・ミハイ 2021年/135分/ベルギー=ルーマニア=メキシコ/スペイン語/映倫:G/原題:La Civil 配給:ハーク 2023年1月20日[金]よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開。
公式サイト https://www.hark3.com/haha/
*AWARD*
2021年:カンヌ国際映画祭ある視点部門勇気の賞受賞。第34回東京国際映画祭審査委員特別賞受賞(上映時タイトル「市民」)。フエルヴァ・ラテン・アメリカ映画祭最優秀主演女優賞(アルセリア・ラミレス)受賞。ハンブルグ映画祭政治映画賞受賞。