【クリスチャニティトゥデイ】火のついた新約学者ゴードン・フィー追悼
聖書を「価値あるものとして読む」ことを福音派に教えた聖霊派学者
米国のペンテコステ派を代表する新約学者で、広く福音派の主要神学校で教え、英語の聖書翻訳にも大きな影響を与えたゴードン・フィーが昨年10月25日、88歳で死去した。翌日、米国福音派を代表するクリスチャニティトゥデイ(オンライン版)に長文の訃報記事が掲載され、福音派における彼の影響力の大きさを浮き彫りにした。その中から概要を紹介する。
彼は聖書は神との出会いだと信じていた
ゴードン・フィーはかつて、ホィートン大学の新約聖書の授業の初日に、学生たちに「いつか 『ゴードン・フィー死去』という見出しに出くわすだろう」と話した。そして机の上に立ってこう言った。「そうではない! 彼は主や王と一緒に歌っているのだ」
それからシラバスを配る代わりに、チャールズ・ウェスレーの讃美歌 “O For a Thousand Tongues to Sing” (讃美歌62「主イエスのみいつと」)で授業を導いた。聖書を読み、聖書を教え、聖書を解釈することは、人々を生ける神との出会いに導くべきであると考え、広く影響を与えた新約聖書教師フィーは 〝火のついた学者〟と称された。
フィーは、1980年代初めにゴードン・コンウェル神学校の同僚ダグラス・スチュアート(旧約学教授)と共同で、『How to Read the Bible for All Its Worth』(邦訳『聖書を正しく読むために』いのちのことば社)を執筆した。現在第4版で約100万部売れ、多くの人にとって聖書に近づく最善の方法に関する標準的なテキストとなった。また、聖書解釈のハンドブックや、新約聖書の書簡の解説書、使徒パウロの生涯と業績における聖霊の位置づけに関する学術研究など、幅広く活躍した。
「もし、パウロにクリスチャンとは何かと定義を求めたら、『クリスチャンとは、キリストに関するXとYの教義を信じる人です』とは言わず、『キリストを知り、御霊の中を歩む人です』と言ったでしょう」とフィーは語った。また、聖書の形式、歴史、文脈を研究することは「単なる歴史」ではないので価値がある、と主張した。正しく行われた聖書解釈は、稲妻に触れるようなものだと。
「私たちが釈義を成就させるのは、私たち自身が神の前に言いようのない驚きをもって座っているときである」と彼は書いている。「私たちは、心で言葉を聞き、神ご自身の栄光に浴し、神の栄光の富に圧倒的な畏敬の念を抱き、その富がキリスト・イエスにおいて私たちのものであるという信じられない驚きに改めて思いを巡らし、そして神の栄光を賛美して生ける神を礼拝しなければならない」
彼の訃報が広まると福音派の牧師や神学校教授が、フィーのどの本が自分にとって最も重要であるかを語った。ウェスタン神学校教授ウェスレー・ヒルは、『神の力づけのプレゼンス』は最も影響を受けた本の一つであると語った。南部バプテスト神学校教授デニー・バークは、フィーは「これまで生きてきた中で、最も影響力のある新約聖書学者の一人」だと述べた。
フィーは1934年5月23日、オレゴン州アシュランドで生まれた。父のドナルドは腕のいい大工で、アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの説教師でもあった。フィーは、父親の丁寧な説教とアッセンブリーの他の牧師たちの野性的で自由なアプローチとの違いに気づきながら育った。
多くのペンテコステ派は、計画や研究が聖霊の働きを阻害すると考えていたようだ、とフィーは後に語っている。彼らは、聖書の一節を引用して頭の中で思いつくままに話し、神がその言葉を柔軟に自発的に導いてくれると信じていた。
一方、フィーの父親は、神は準備を尊び、聖書は上質の木材と同じように巧みに丁寧に扱われるべきであると考えていた。「父は、私が初めて出会った学者でしたが、父の真理に対する情熱と、聖書を深く掘り下げようとする決意は、私に伝わりました」と書いている。
フィーは、父に続いて牧師になることを決意した。シアトル・パシフィック大学で修士号を取得した後、シアトルで牧師となり、生活のためにノースウェスト大学で英語を教え始めた。
フィーは、自分が教えることが大好きなことに気づいた。南カリフォルニア大学で新約聖書学の博士課程に進み、本文批評を専攻。現存する新約聖書写本の中で最も古いとされる「ヨハネの福音書」のほぼ完全な写本であるパピルス66について博士論文を執筆した。
彼は学者としてとペンテコステ派としてのアイデンティティーの間に緊張感を感じていた。だがホィートン大学で教鞭をとるようになり、多くの同僚が出会った聖書学の博士号を持つ最初のペンテコステ派が自分であることに気づいた。
NIVへの貢献
一方、ペンテコステ派は必ずしも彼の学問的成功を喜んでいたわけではない。ある年配の男性に自分の学術研究のことを話したところ、学問の霊的な危険性について警告を受けたことがある。その人は、「氷の上の学者よりも、火のついたバカの方がましだ」と言った。しかし、フィーは祈るうちに、それは間違った選択であることに気がついた。彼は「火のついた学者」になることができたのだ。
彼はホィートン大学で5年間教えた後ゴードン・コンウェル神学校に赴任。その後、カナダのリージェント・カレッジに移り、定年まで新約聖書を教えた。影響力のある「新国際注解」シリーズを編集し、新国際版聖書(NIV)の責任者である学者たちのチーム「聖書翻訳委員会」でも30年以上働いた。ホィートン大学の聖書学教授ダグラス・ムーによると、NIVの読者は「ほとんど全ページで彼の翻訳に関する提案に遭遇する」。
異言についての論争女性教職肯定に批判
70〜80年代には、異言を話すことが聖霊の満たしの「最初の証拠」であるかどうかをめぐるペンテコステ派の神学論争に巻き込まれた。フィーは「私は、その言葉を捨てる。なぜなら、それは聖書的ではなく、したがって無関係だからだ」との立場を取った。
彼はまた新約聖書に基づき、聖職に就く女性を支持した。聖書的平等のための協議会を支持し、『聖書的平等の発見』という本の編集に携わった。新約聖書の教会における聖霊の役割についても書いている。「新約聖書の証拠によれば、聖霊は性別を問わず、男性にも女性にも賜物を授け、その結果、体全体が自由になり、すべての部分が奉仕し、さまざまな方法で他の部分に指導力を与えることができる。最終的に私が言いたいのは、フェミニストの課題、つまり、ミニストリーにおける女性の擁護ではない。むしろ、聖霊の問題なのだ」
この立場は多くの批判を招いた。「私は多くのばかげたことを我慢してきた」と彼はカリスマ誌に語った。「私はある人々が、性別が才能よりも優先されると考えていることに、どうしても納得がいかないのです」
しかし、フィーはほとんど論争を避けようとし、彼の授業と聖書の読み方を教えることに集中し、それが彼らを変えたのだ。「ゴードンの厳格な授業は、彼の主との出会いによって、さらに特異に知られるようになった」と、リージェント大学新約聖書学教授のリック・ワッツは言う。彼は、世界中の何千人もの学生に「火のついた学者」になれることを教えたのだ、と。
(2023年01月29日号掲載記事)