【3・11特集】過去と未来―二重性の間で まちの「あわい」残す 陸前高田
岩手県・復興祈念公園の伝承館付近
2021年の連載「私の3・11」第四部では、東日本大震災から10年の気仙地域(岩手県、宮城県沿岸県境地域)について聞いた。
2年前はコロナ禍で緊迫していたが、今年2月に改めて同地域を訪ねた。変貌し続ける町並みの中で、震災の記憶を伝え続ける取り組みがある。「復興」以前に人口減少が進む。そのような中、地域課題を覚えながら寄り添い続けるクリスチャンたちの姿があった。【高橋良知】
まちの「あわい」残す 陸前高田
「奇跡の一本松」
岩手県陸前高田市の中心部は津波で「壊滅」し、人口2万4千人のうち、千700人以上が犠牲になった。近年年間300人減少し続け、人口は2万人を割る。2月初めの選挙戦で、震災後初めて市長交代が起き、まちの今後が注目される。
冬枯れの荒野に廃ビルが一つ…
高台にあるJR陸前高田駅に降り立って、まずに目に入った光景だった。数十メートルかさ上げされた新しい中心街には、人の動きがあるが、海側は堤防まで人けがない。12年前、そこに人々の営みがあったことは、想像が難しい。
「最初のころは/行き来もあったみたいだが、/しばらくすると、/上にもまちが出来てね/生きている人は、/すっかりそちらで暮らすようになった…」(瀬尾夏美『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』晶文社、2019)
美術家の瀬尾夏美は震災後、同市で活動し、記録や伝承の働きに取り組んだ。「平らになった地面から何かを形づくっていくまでの〝あわいの日々〟が圧縮されて遠ざか」る危機感が、活動の動機になった。同書からは人々の折々の機微を感じ取れる。
市街地にあった市立博物館と海と貝のミュージアムは、高台の駅そばに統合移設された。多種多様な生物の模型やはく製の展示、地域の民俗を紹介する。
市立博物館の展示物は津波をかぶり洗浄修復された
展示物のほとんどが津波から救出された被災物だ。資料56万点中、46万点が救出され、全国の博物館などの協力も得て、3月までに全体の3分の2が修復見込み。「物が残るだけではなく、情報も復元し、心の部分の復興につなげたい」という。もともと資料はほとんどが市民から提供されたもので、愛着をもたれている。
堤防に沿って高田松原津波復興祈念公園がある。東日本大震災津波伝承館いわてTSUNAMIメモリアル(道の駅高田松原)は、追悼の広場へのゲートとなっている。伝承館は各機関の災害対応など映像、模型、被災物で紹介する。「解決できない課題がある」と含みある表現も見られ、「復興」の複雑さが感じられた。
堤防海側には、小さな松たちが養成されていた。数万本の松をほこった松原の再現には、まだ数十年かかる。
リバイバル求めたい
陸前高田教会会堂
このまち唯一のキリスト教会、JBM・陸前高田キリスト教会(森田為吉牧師)会堂は新しい中心街から近い、丘のふもとにある。周囲に更地も目立つが、真新しい住宅や、カフェもある。
震災当時
12年前の3月、記者は震災支援チームで、同市を訪れた。自動車や船が散乱し、ビルに乗り上げていた。津波の被災物(がれき)は教会堂の手前までせまった。それらのたい積を乗り越え、会堂にたどり着いた。
同教会はチリ大津波の5年後の1965年に、開拓宣教を開始。出稼ぎの多い貧しい村だった。集会を開いたり、遊び場を提供すると、子どもたちはたくさん集まった。自活伝道で森田さんは建設会社で働き、会堂建設も同社で出がけた。講壇や棚など、森田さん自身で製作したものもある。妻のエミ子さんは通院介助など地域で働き、現在も傾聴ボランティアなどに励む。
森田牧師夫妻
「よそ者に厳しい土地柄、伝道を始めた時も、『米がとられる』と悪いうわさが流れた」と往時の苦労を語った。
かつて子どもだった人たちは、多くは各地に移り住んだが、その地で礼拝を続けている。帰省の際の様々な分かち合いが喜びだ。震災後も世界中のネットワークに支えられた。「主は生きておられる。すべて備えられた」と感謝する。
近隣には若い家族も少数移り住んでいるが、町内は80歳台が主。「この地域もあと5年くらいか」と森田さんの声は小さくなるが、エミ子さんは「まだまだやれる限り、宣教しますよ」と意気込む。祈りの課題を聞くと、「岩手、日本のリバイバルを何としても求めたい」と語り、森田さんの目は輝いた。
☆様々な「心の被災」あるはず 気仙沼・オリーブ代表・千葉さんと歩く
(2023年03月12日号 04面掲載記事)