インタビュー_10月6日公開の映画「旅するローマ教皇」のジャンフランコ・ロージ監督
日本初公開の新作映画14作が上映された「イタリア映画祭2023」(5月2日~7日、東京・有楽町朝日ホール)では、2013年にローマ・カトリック教会の教皇に就任したフランシス教皇が22年までの9年間に53か国を訪問し執り成しと祈りの旅路を追ったジャンフランコ・ロージ監督のドキュメンタリー映画「旅するローマ教皇」が特別上映された。上映後のティーチインで語った監督によると本作は教皇側からこのドキュメンタリーの話があったという。教皇側から提供された500時間に及ぶ資料映像と、監督自身も同行撮影して教皇フランシスの内面に迫る作品にまとめたロージ監督に話を聞いた。【遠山清一】
↓ ↓ 映画「旅するローマ教皇」レビュー記事 ↓ ↓
https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=40316
9年間に53か国訪問
執り成しと祈りの旅
――13年に地中海を渡る難民船が漂着する島イタリア・ランペドゥーサ島を訪問した記録を皮切りに、22年にロシアに軍事侵攻されたウクライナ、地中海のマルタ島訪問までほぼ時系列的にたどっていますね。各地での民衆への語り掛けや記者団への対応などを紡いでますが、19年11月に来日された記録は、広島での“平和のための集い”のミサ映像だけで何かを語るシーンはありませんでした。それは何か意図がありますか。
ロージ監督 教皇のそれぞれの旅の一つずつが、それぞれ1本の映画にすべきほどでした。ですから、本作に描けなかった国や地域はたくさんあります。地域は異なっていても(愛、自由、平和など)教皇が語るテーマはいくつかに集約できるし、同じ言葉を繰り返し語っておられることも多い。当初はそのようなテーマ性重視で考えていましたが、ロシアのウクライナ侵攻が起こりましたので方針を変更し、時系列に替えることで教皇の心の旅路をそのまま反映するパターンになりました。
時に語られる言葉より
強く伝わる沈黙もある
教皇は来日した際に武器売買の問題や原子爆弾のことなどにも触れて語っていました。だが、同様の問題やテーマは米国の下院議会や日かの地域でも語られていますので作品全体の中で伝えられると思いました。広島・長崎での原爆の事実があって、もう核爆弾は使わないことが話し合われてきたのに、ウクライナでの戦争によってロシアは戦略的に核兵器を使う可能性を告げと脅威を示しています。私は、このようなことを多くの言葉で語るよりも、沈黙のほうが良いと感じたのです。
日本訪問に関連して広島・長崎の原子爆弾や各国の核爆弾実験の記録映像を使いました。あれほど刺激の強い映像を使うべきかどうかは真剣に考えました。でも、忘れてはいけない起きたことなのです。ですから、あそこで生存していた人たちがいたことを、あらためて想い起こしてほしかった。その強い危機感は、語られる言葉よりも沈黙の方が強く伝えられると思いました。
宗教的な人物の視点から語られる
政治性の強い映画といえます
――教皇は、バチカン市国の元首でもあります。教皇に“政治家フランシスコ”の一面を感じたことはありますか。
ロッジ監督 たくさんありました。むしろ「旅するローマ教皇」という映画自体が、ある種、政治性を帯びた作品だと思っています。もちろん、教皇の霊性や瞑想する姿などスピリチャリティのある映画でもあります。例えば、本編の冒頭、ランペドゥーサ島沖で夜の嵐に遭難する難民船が無線で助けを求める映像を使いました。「いま、どこにいるのか?!」。この映画の始まり自体が、世界がひっくり返った情況からなのです。教皇が、初めに訪問したこの島で難民に「夢を見ることを続けてほしい」と語ります。教皇は、難民について、人間の尊厳について、戦争について語る時にも政治性が強い。つまり、宗教的な人物の視点から語られる政治性の強い映画といえます。
同時に、希望の映画だとも思います。希望について世界を変えようとしている人がいるのだという映画だともいえます。指導者としてグローバル化されたこの世界を生きている一人の人物であり、同時に敗北についての映画だとも思っていて、「夢を」という言葉から始まりますが、映画の最後は「神よ、我々を止めてください」と懇願する「祈り」で終わります。教皇の祈る姿は、あの最後のシークエンスにしか出てこないのです。
――ありがとうございました。
映画「旅するローマ教皇」は、2023年10月6日[金]よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほかで全国巡行ロードショー。
公式サイト https://www.bitters.co.jp/tabisuru/
公式Twitter https://twitter.com/Rosimovie_jp