西日本の宣教協力に尽力

日本聖約キリスト教団を中心に、西日本の宣教協力に尽力した大村裕康(おおむら・ひろやす)氏が、7月16日、肺腺がん・十二指腸潰瘍のため倉敷市内の病院で亡くなった。80歳だった。7月18日に前夜式が、19日に告別式が、氏が最後まで牧会した倉敷聖約キリスト教会で、岸義紘氏(ミッション2001伝道者)の司式により行われた。喪主は妻の庸子(のぶこ)氏。

1943年兵庫県で生まれ、岡山県で育つ。高校3年の時に御津キリスト教会で受洗。高校卒業後、聖契神学校で学び、卒業後は岡山市で1年間開拓伝道をし、その後、兵庫県洲本市の宇山福音教会で17年間奉仕した。この間、近畿放送伝道協力会に関わり、80年のビリー・グラハム国際大会では大会ニュース編集長を務めた。85年より(宗)日本聖約キリスト教団倉敷聖約キリスト教会の牧師として38年間奉仕。同教団代表役員、岡山県宣教の集い実行委員長、西日本連合宣教セミナー委員長、西日本宣教学院院長、日本ウィクリフ聖書翻訳協会日本委員会委員長を務める。著書に『こころゆたかに 日ごとのかて 流れのそばに』(いのちのことば社)。

長男で同教団牧師の智康氏は、「父は、牧会者としての働きとともに教派を超えた働きにも積極的でしたが、〝超教派〟ではなく、〝教会協力〟と常に呼びかけ続けていました。『生涯牧師で』と願っていた父が、入院中の召される2日前、居合わせた二人の孫に洗礼を授けることができたのも、主の憐れみと思います」と語った。