近代の中国における文書伝道は、現地の文化状況を踏まえつつ、様々な工夫がされていた。アメリカ人宣教師が中国語で書いた『天道遡原』(1854年)は科学・技術の知見を広めつつ、自然を治める神の存在を知らせた。さらに中国古典文化への深い理解と格調高い文章によって、中国の読書層、日本の武士層、さらに朝鮮の知識人の関心も引いた。

今年二松学舎大学(東京・千代田区)は『天道遡原』を講読する授業を開いた。担当の中村聡氏は『宣教師たちの東アジア 日本と中国の近代化とプロテスタント伝道書』(勉誠出版、2015年)で、宣教師らが「中国にキリスト教を伝道するためには、現状の中国の社会文化を自分たちの文化程度にまで引き上げる必要があると感じたらしい」と述べる。

宣教師の書物の研究を通して「中国社会の変化」だけではなく、「西欧社会、精神史および政治姿勢の変化」も見えてきたと言う。「近代国家として世界に認められようとする中国と、西欧的・キリスト教的価値をアジアに伝えようとした宣教師たち。その相互理解と反発はけっして過去の問題にとどまらない。すぐれて現在の営みにかかるもの」と指摘した。

宣教師ウィリアム・A・マーティン(中国名・丁韙良)は1850年に中国に上陸し、キリスト教、語学、科学、哲学、教育、法律関係の書籍を多数刊行した。『天道遡原』は上中下巻二十四章で、自然神学、教義神学などを論じる。『中国プロテスタント伝道史研究』(汲古書院、1997年)で吉田寅氏は、当時「欧米近代科学の卓越性」が関心をもたれ、「キリスト教の優越性を実証した『天道遡原』の論説は、特にすぐれた説得力を持っていたものと考えられる」と評価している。

『天道遡源』は版を重ねて増補し、要約版や現代語訳も出て普及した。日本でもヘボン、フルベッキなどの宣教師らは、『天道遡原』を活用し、中国語聖書とともに配布していた。「儒教的教養の上にたち、近代科学を基礎としてキリスト教証拠論を展開」(吉田氏)したことから、武士層のキリスト者たちの信仰理解を深めた。さらに新島襄や山本覚馬にも読まれ、科学とキリスト教を教える学校としての、同志社の設立につながったとされる。

『天道遡原』で紹介する科学技術は、現代の視点からみれば、素朴であるし、科学と信仰について「牽強付会」(こじつけ)と思えるかもしれない。しかし、近代以前の中国、日本の自然観、宇宙観、神観がどのように変化したかを目撃できる。それらは、実際の本文の用語や説明から見出せるが、それらはまた別の機会に紹介したい。【高橋良知】

2023年08月20日号 04面掲載記事)