寄稿・香港レポート「この社会の分断は外の人には伝わりにくいでしょう」
香港・中国に知己を持つ関西在住のフリーライター楊建人さんが足で歩いた、肌感覚の現地レポート。
7月某日「おめでとうございます!『ワールド・オブ・ウィナーズ』航空券プレゼントキャンペーンに当選しました」というメールが届いた。とりあえず応募しておいた香港行き無料航空券のプレゼントキャンペーンに当たったのだ。早速日程を調整して、現地の友人たちと連絡を取り、私は機上の人となった。
少し前から気にはなっていた。コロナ禍が落ち着いて、日本に来る観光客も増え、日本の書店にも海外の観光地のガイドブックも出始めた。しかし、台湾やシンガポールに比べて香港に関する新刊が出てこない。香港をテーマにしているライターさんの新しい記事もなかなかお目にかからない。反対に香港に入ろうとして入国拒否にあったジャーナリストのニュースが流れてくる。いったいどうなっているのか?こうなったら自分で見に行くしかない。そんなことを思っていた矢先の当選通知メールだった。
香港に入ってまず、日本に短期宣教チームを派遣した教会の方々と会った。このチームの面々とは数か月前に日本で会っていたのだ。こんなに早く再会できるとは思ってもみなかった。また宣教師として来日する準備をしている兄弟姉妹にも会った。香港には日本が好きな人が多い。日本は香港人にとって人気の旅行先だし、日本に来たことがある香港人は本当に多い。また、香港のあちこちに吉野家、シャトレーゼ、ダイソー、スシロー、ドンキホーテなど日本でよく見かけるお店がある。
しかし、宣教となると勝手が違う。日本に来てみると言葉の壁の大きさにぶつかる。日本語の難しさと、日本人に英語が通じない困難は想像以上のようだ。さらに広東語を話せる日本人は北京語を話せる日本人を見つけるようには見つからない。しかし彼らは日本が好きとかそういう好みを超えて、神に心を動かされて日本のために祈り、行動を起こしてくれている。日本は神に愛されていることを、彼らを通して実感する。
2019年以降、海外に移民する人が増えている香港では、教会の若い牧師たちもイギリスやカナダ、オーストラリアなどに移民する人が増えている。最近では働き人が不足し、引退した牧師を招いて日曜日に説教をしてもらっているところもあるという。そんな状況であっても日本宣教のために立ち上がる人がいて、その人たちを支えようという教会がある。
もちろん彼らは香港での伝道も熱心に進めている。カフェを開き、クリスチャンでない若者を雇い、共に働きながら福音を証ししている教会もある。壁にはみことばが大きく書かれ、スタッフはみことばが書かれたTシャツを着ている。昼どきには近所のオフィスの人たちが入れ替わり昼食を食べに来ていた。私が訪ねたところは地域の複数の教会が共同でカフェを運営していた。
このカフェもそうだが、日本に来ている宣教師の中にも起業をしてビジネスを展開しながら宣教師として活動している人たちがいる。Business as mission は日本ではまだめずらしいかもしれないが(メレル・ヴォーリズという前例はあるものの)、起業する気風が強い華人には自然なスタイルなのかもしれない。
街を歩いてみる。尖沙咀(チムサーチョイ)や銅鑼湾(トンローワン)など、観光客で賑わう繁華街には人が溢(あふ)れていた。下町を歩いても、普段の生活が戻ってきているような感じがするし、飲茶レストランの賑やかさは香港らしさを感じさせてくれる。しかし、何か以前とは違う感じがする。香港に来てから重苦しいというか、以前のような明るさがないように感じていたのだが、ある兄弟が話してくれたことを聞いてなんとなく納得できた。
彼は、「香港の社会が分断されていることは、外の人には伝わりにくいことでしょう」と前置きをしながら、家庭でも職場でも教会でも、デモや国家安全法についての意見の違い、移民する人としない人、そもそも移民ができる人とできない人など、様々な分断が香港の人々の間に溝(壁)を作っていると話してくれた。以前ならそのことでケンカもできた。デモに行こうとする子どもとそれを止めようとする親がケンカしてでも、という感じだったが、今はそういう意見の違いがある話題を避けてしまい、腹を割った話ができなくなっている。そのためか、なんでもストレートに話してぶつかり合う香港人の良いところが無くなってしまっている。それが、以前と違う、街の雰囲気の正体のようだ。
香港人の牧師に聞いても(少し前の話になるが)「先生がデモを応援するなら私はもう教会に来ません」と言う信者がいれば、「先生がデモを応援しないなら〜」と反対のことを言う人もいる、ということだった。今のところ教会の活動は制約を受けることなく自由な活動を続けることができている。しかし、明日がどうなるかは誰にもわからない。私の知人にも家族でイギリスに移住した人もいる。また、別の友人は「息子たちに移住を勧めているけれど彼らはその気はないようだ」と言っていた。さまざまな立場、背景の人たちがあの小さな香港で、またそこにある教会で相手との間合いを探りながら暮らしている、そんな感じさえするのだ。
2019年のデモからコロナ禍の3年間は、香港のクリスチャンたちにとっては現実を受け入れ、それと向き合う辛(つら)い時間だった。「もう以前のような日々に戻ることはできないでしょう」と彼らは言う。しかし、彼らは前を向いている。以前のような日々に戻ることはできないのかも知れないが、神は悪を良いことのための計らいとしてくださる方だから。その神に期待して、彼らは前を向こうとしていているのだ。そんな彼らと共に喜び、共に泣く者でありたいと私は願う。
香港を離れる日、空港に向かうバスを待っている場所から獅子山が見えた。その空は雲ひとつなく青かった。香港の明日がそんな日でありますように。(楊建人)