保守バプテスト同盟 恵泉キリスト教会仙南チャペル  牧師 大喜多義也

震災の復興支援から教会形成へ

ハレルヤ! 主の御名を賛美いたします。恵泉キリスト教会仙南チャペルは、東日本大震災の復興支援から生まれた教会です。震災後、恵泉キリスト教会は東日本にある全チャペルが協力して宮城県山元町の復興支援に乗り出し、2012年1月に中古物件を購入してボランティアセンターを開設しました。そして復興後も地域に仕え続ける拠点となることを願い、まだ何も教会としての実態はありませんでしたがボランティアセンターに「仙南チャペル」という看板を掲げました。その夏、礼拝場所を求める周辺地域のクリスチャンとの出会いがあり、主がこの場所を教会として用いようとしておられると確信し、12年9月に開所礼拝が行われました。これが私たちの教会の始まりです。それから月に一度の礼拝が行われ、13年には外部からの支援によって礼拝堂が与えられ、それを機に礼拝を月に2回に増やし、またこれまで仮設住宅で行っていたカフェサロンを会堂で行うようになりました。次なる転機は15年、復興支援を共に労した宣教師が帰国されたことを機に、教会のフェーズが復興支援から教会形成へと移り変わります。カフェサロンでも福音が語られていましたが、そこから関心を持たれた方を誘ってバイブルスタディを開始し、そこから礼拝に導かれる方が起こされ、16年には山元町専任スタッフであった筆者が結婚に導かれて教会の核となる共同体が起こされ、それを機に主日礼拝を毎週捧げるようになりました。そして18年に筆者が牧師として招聘され、現在まで仕えております。

恵泉キリスト教会仙南チャペル外観


現在に至るまでにはもう一つの転機がありました。20年以降、コロナ禍を機に教会は自立に向けて歩み出しました。教会の核が築かれたものの私たちはまだまだ小さな群れで、人的にも経済的にも多くの支援を受けて働いておりました。特に復興支援から続けて行われていたカフェサロンには毎回30人ほどの方が集っておられましたが、それも献身的に奉仕してくださる親教会から派遣されたチームの助けがあってこそでした。けれどもコロナ禍により県をまたいだ移動や食事の交わりが制限されるようになり、復興期から続いたカフェサロンは終わりを迎えました。しかし、それが教会内の自立への意識を高めることになりました。教会員が賜物を持ち寄り、クラフトや体操を行うイベントが開かれたり、教会通信を作って戸別訪問をしたりと、教会内の賜物が発揮されるようになり、それによって共同体としての結びつきも強められました。経済的にはKDKを始め、多くの方の支援に支えられてまだまだ自立の途上でありますが、仙南チャペルは現在も自立への道を歩んでおります。
教会開所当初から復興支援期はまだ私たちがどのような教会になろうとしているのかが漠然としたままでした。それから復興支援から教会形成へとフェーズを移した時、今後の教会の姿を思い巡らす中で一つのみことばが与えられました。
万軍の主はこう仰せられる。「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう」(ゼカリヤ8・4、5新改訳第三版)
私たちの教会の目指す姿は回復した「町の広場」であり、イエス様のみもとで子どもからお年寄りまで憩う場所です。けれども人はいつまでも広場にはおらず、そこからそれぞれの場所へ帰り、また遣わされます。同じように、私たちも町の広場である教会から遣わされ、置かれた場所で主の弟子として歩む者とされたいと願います。それ以降このみことばを仙南チャペルのビジョン聖句として教会で分かち合っています。

復興期の活動の柱となったカフェサロンの様子

宮城南部・福島北部を宣教協力でカバー

仙南チャペルは教会に集う人々の所在地がそれぞれ散らされていて、また年配の方も多く、教会に集うためには教会から送迎を出す必要があります。また年配の方々は年々体の衰えがあり移動も難しくなってきます。そんな状況を見る時に、誰もが自由に教会に集えるためにはその人の生活圏内に教会がある必要があると思わされています。
仙南チャペルに与えられたもう一つのビジョンは、、、、、、、、

2023年10月08日号06面掲載記事)