インタビュー:映画「家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説」脚本・監督・主演のリア・パーセル
日本で初めてオーストラリアの先住民(アボリジナル・ピープル)の監督たちによる作品を集め「オーストラリア少数民族映画祭2024」(オーストラリア大使館主催)が2月3日[金・祝]に東京・渋谷のユーロスペースで開催された。
一日だけの開催だったが、劇場とオンライン配信で上映された5本の作品(長編2、短編3)すべてが日本初上映。いずれもアボリジナル・ピープルの監督による先住民の視座から見つめる現代のオーストラリアが描かれていてオーディエンスからも好評を得た。映画祭でのトークイベントのために来日した映画「家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説」を製作・監督・主演した女優リア・パーセルさんと本作プロデューサーのベン・スチュアートさんに、映画化する以前から舞台演劇やオーディオブックなどさまざまなプラットフォームにしてきたこの作品への思いを聞いた。【遠山清一】
↓ ↓ 同映画祭の概要、作品ラインナップなどは下記リンクへ ↓ ↓
https://japan.embassy.gov.au/tkyojapanese/filmfes2024.html
開拓期の先住民の視座から
見る現代のオーストラリア
――パーセル監督は、ヘンリー・ローソンのこの短編小説を、小説に、テレビドラマに、戯曲化して舞台で演じ、オーディオブックでの朗読、そして今回は映画化しています。その思いはどこにありますか。
パーセル監督 フォーマットが異なることで難しいということはありませんでした。演劇の戯曲についていえば、物事の始まりが戯曲でしたので、始まりの段階での難しさということはありました。
制作会社としては、知的財産としてこのお話があるわけなので、いろんな使い方をしていきたい。戯曲で始まり、いろんなフォームで展開していけたらと思っています。
――演劇と映画とでの違いで、ご苦労された点はありますか。
パーセル監督 演劇の脚本は、空間を言葉で埋めなければならないので、言葉で空間を埋めようという努力はありました。
一方、映画はビジュアルですよね。そのことに私は気づいていましたので、映画では、ショットの構成などを考えることにして、このレンズの中でどのように展開しようかと考えるようにしました。
また、ルイーズとネイトのクリントフ夫妻のキャラクターは、演劇版では存在しません。観客をどうやってモリー・ジョンソンの世界へ連れて行こうかというときに、映画では一つの道具として二人のキャラクターを入れるようにしました。
――その意図は。
パーセル監督 オーストラリアで先住民の映画を作る時に注意しなければいけない一つのことは、先住民が恐怖の存在になってはいけないので、そうした視点も踏まえて、白人の二人のキャラクターを、モリーの世界へ入っていく存在として位置付けて映画の中では表現しました。観客もルイ―ザとネリーによってモリーの世界へついて来てくれるのではないか、と思っています。
映画独特の技術的な問題の難しさはありましたが、映画も演劇もテーマとして取り扱っている問題は普遍的なものなのです、そういう意味では、演劇作品から映画作品へ移行するのに、それほど難しい作業ありませんでした。。
スチュワートさん リアが、映画の脚本で新しいキャラクターを入れたということもあって、原作は2部構成ですが、映画では5部構成で展開します。また、演劇ではエバートンの町を言葉で語るだけでしたが、映画では町の情景を映像化することができました。
原作の時代背景と現代では
本質的な違いはないと思う
――本作は、オーストラリア先住民への人種差別と女性蔑視が重要なテーマになっていミステリーですが、原作が書かれた19世紀末と21世紀の現代とで大きく変化している状況とか、本質的に変わっているなと思うところはありますか?
パーセル監督 劇的に変わったというところのは、残念ながらありません。人種差別は今もありますし、女性蔑視も今も残っています。配偶者暴力(DV)の話をすれば、一週間に二人の女性が(夫、恋人など)知っている人によって殺されています。ですから、そういうことも踏まえて、私はこのテーマについて話し続けています。草の根レベルでは多くの人がツイッターなどで変えられるように努力していますけれども、私はもっと努力すべきだと思っています。
――この人種差別、女性蔑視の問題についてはキリスト教の教会も努力しているテーマだ思います。パーセル監督は、この映画祭へのコメントの中で、先住民族は“布教による迫害を受けてきた”ということを語っています。日本ではキリスト教会から“布教による迫害を受けてきた”というイメージは薄いのではないかと思います。もう少し分かりやすく伝えてくだい。
スチュワートさん オーストラリアの入植開拓期にはオーストリア、アイルランド、ウェールズ、スコットランドからも多くの人々が来ていました。布教団または人々が住んだ集落ですが、イングランドの英国教会またはカトリックの人たちが多くいました。ですからオーストラリアでは、カトリックと聖公会が主な宗教になっています。布教団ですが太平洋、ニュージーランドからも来ていまして、主たる宗教はキリスト教になりました。
パーセル監督 当時の教会は、政府から指示を受けて多くの仕事を担っていました。 その一つには、先住民の子どもたちを家族から引き離し、宿舎に入れる仕事がありました。 家族から引き離されて宿舎に入れられた子どもたちは、先住民の伝統的な文化や(それぞれの部族の)言語を使うこともできませんでした。もし、それをしようとする子どもたちは多くの罰を受けました。政府の命令を実際に果たす役割は布教団が行っていましたので、現代でもそのような視点で布教団がみられるようになっています。
寄宿舎に入れられた子どもたちは、本当にひどい扱いを受けていました。ほとんど無給で仕事をさせられ、奴隷の様な状態でした。それを監督していたのが布教団でした。
1788年に白人がオーストラリアに入植してきましたが、そのとき教会であったり人々は、先住民にも尊重するべき文化がある思っていなかったので、布教団の人たちも先住民の文化を尊重することなく、自分たちの文化を押し付けてしまいました。
日本の先住民族アイヌの
人たちにも関心があります
――日本にも先住民の文化を尊重される文化として認めていなかった歴史はあるように思います。一つは、北海道のアイヌの文化を認めていなかったと思います。先住民の問題をテーマに映画製作しているベンさんとリア監督は、日本のアイヌについて関心はお持ちでしょうか。
パーセル監督 はい。とても関心あります。世界中の先住民や少数民族の方々にも私のこの映画を届けたいと思っていますし、世界中の先住民や少数民族の方々にも関心を持っています。
私の観点からいえば、(それぞれの国や地域の先住民族が経験してきた)苦しみとか、これまでの出来事などのお話を伺いたいと思っています。また、いっしょに勇気づけ合いたいとも思っています。そして、映画を観ていただいて何か着想を持っていただけるのではないかなと期待しています。彼ら自身が、何か自分たちのことを語ることができるかもしれませんものね。
スチュワートさん 私は、東京のアイヌの代表の方に初めて開催されるこの「先住民映画祭」に来ていただけないかと、お声がけしました。残念なことに、漁業関係の所用があるとのことでってお会いできませんでした。でも、オーストラリアの弁護士を通じて(私たちの)情報は発信しました。
オーストラリア先住民映画祭
に本作の出品を決意した理由
スチュワートさん I LOVE JAPAN! 日本が大好きだからです(笑)
私は30年前に大阪でのキックボクシング大会に、オーストラリア代表として出場していました。日本での格闘技大会では、出場した東京も大阪も大好きです。それが個人的な理由の一つです。 オッス!(笑)
プロデュサーとしての職務では、私たちの映画は世界のオーストラリア大使館で上映されていますが、今回初めて、先住民映画祭が東京で開催されると聞いて、非常に重要なことだと思いました。また、大使館の方から出品しないかと依頼を受けたことは、とても光栄なことだと思います。
その二つのことが主な理由ですが、日本語の字幕もついて映画祭で公開されるので、観客みなさんの反応を見ることができるので、楽しみにしています。
――日本では初めての開催になる「オーストラリア先住民映画祭」に、本作を出品しようと決めた特別な理由はありますか。
スチュワートさん 私は、プロデューサーとしてリアが書いた劇作品を観て、非常に力のある作品だなと思いました。深みもあります。アメリカのトニー賞、ゴールデングローブ賞、キーボディ賞など、演劇での受賞も総なめにしていましたので、ストーリーも評価されて力のある作品だということは分かっていました。また、リアは映画化にも脚本を書き始めていました。その原稿を見て、素晴らしい作品だなとも思いました。
リアが、ヘンリー・ローソンの短編小説を小説に発展させた作品もベストセラーになっていましたので、観客がこの物語を映画でも観たいと期待していることは分かっていました。
――先住民の女性たちは、虐げられて生きて来たというイメージでしたが、この作品のモリーの生き方は、虐げられて弱弱しく生きている女性ではないですね。例えば、雄牛の眉間をライフルで打ち抜くほどの担力、バイタリティ、生き抜く意欲で子どもたちを護ることに必死なとても強い女性でした。もしかしたら、作品のための女性像として先住民女性の一つの理想像としてのモリ―として描かれているのでしょうか。
パーセル監督 先住民の女性は、とても力強いんです。(笑)
実際、この作品のモリー・ジョンソンは、私の母や祖母、叔母であったり現実の人間に基づいて書いています。(私の先住民は母系社会ですので)彼女たちは現実にコミュニティのリーダーとして社会を率先していました。先住民でない父親は私の周りにはいなかったので、私の母が父親を兼ね祖父を兼ねた存在でありました。先住民の女性は力強いです。(笑)
――本作でモリーの長男ダニエル(12歳)が、モリーにしっかり育てられ、弟妹たちを護って生き抜いたラストシークエンスの情景が納得できました。ありがとうございました。