岡田 仰 能登ヘルプ(能登地震キリスト災害支援会) 世話人代表 金沢独立キリスト教会牧師

「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです」 マタイの福音書28章6節

大地震に見舞われた能登のため、そして、能登ヘルプの働きのため、多くのご支援とお祈りをいただき、感謝しております。
私たちは、今、破壊された街並み、崩れた山、壊れた道路、人々がいなくなった住宅街を見ながら、今年の復活祭を迎えております。その中で、聞こえてくる一つの声があります。それは「死は確かに終わりである、しかし、復活の主にあっては、死は死で終わらず、新しい恵みの世界の始まりとなる」という声です。

家族と。左端が岡田仰氏

十字架の死、それは、間違いなく、終わり

イエス様の十字架の死、それは、弟子たちにとって、まさに救い主の死であり、今まで抱いていた平安、希望の死であり、悲しみと嘆きをもたらすものでした。
今、被災地能登の町々に参りますと、町中に悲しみと絶望、不安の風が吹いています。今まで人生の支えであった仕事、家族、仲間、街並みが失われてしまいました。あの元気に力強く生きていた人々から生きる力を奪っているのを見ます。
しかし、これが人生の現実です。私たちの人生にも、しばしば、肉体の死はもちろんですが、この死のような出来事が起こるのです。夢の死、生業(なりわい)の死、健康の死、人間関係の死など。それは、私たちに、絶望と憂うつをもたらし、生きる力を失わせ、私たちの歩みを後ろ向きにします。

主は、死に勝って復活され、この世界に、新しい世界をもたらした

しかし、まことに驚くべきことは、死なれた主イエスは3日目に復活されました。墓の中からよみがえられました。そして、復活を通して、新しい恵みの世界が現れたのです。
何が現れたのでしょうか。第一には、復活を通して、この世界に、イエス様は死に勝ち、永遠に生きておられるお方であるという希望が与えられたのです。それゆえに、私たちは、今、どんなに目の前が暗くても、主は今、生きておられるということに希望をもって、前向きに歩むことができるのです。
第二には、復活を通して、死の向こうに、天国におけるよみがえりの世界が与えられたのです。死は、絶望でしかありませんでした。しかし、今、私たちは、死の向こうに永遠の天国のよみがえり、そして、先に召された方々との再会の希望を持つことができるのです。
第三には、復活を通して、あの十字架の死が敗北の死ではなく、神の愛の現れ、罪の身代わりのための死、救いの完成であることを悟るようになったのです。つまり、神の絶対の愛、その死に意味と価値があることを悟るようになったのです。
ですから、復活を信じる私たちは、様々な人生の死の経験に出会う時に、この復活の主のみ声に耳を傾けるべきです。「この死は、決して無ではない、この死を通して、新しい神の恵みの世界を見ることになる」
私はかつて、自分は不幸な、呪われた者ではないかと思う時期がありました。「人生は闇だ、闇だ」とつぶやく日々でした。母が早く召され、問題が山積し、何をしてもうまくいかず、自分の信仰も、働きも行き詰まりの日々でした。
しかし、今、振り返る時に、その死のように見えた経験の一つ一つが、私の人生にとって、かけがえのない恵みとなり、宝石となっているのです。様々な死の経験を通して、新しい世界に目が開かれ、出会いが与えられました。情に流されなくなり、貧乏くじが、神の祝福になるのを見ました。
今、被災地の様々な死の様を見ながら、私は復活の主を信じ、主を仰ぎ見つつ、被災地の支援の働きに取り組んでいます。
ぜひ、信じましょう。まさに、復活の主と共に歩むとき、目の前の死は、死では終わらないことを。そして、その死は、必ず、新しい恵みの世界をもたらしてくれることを。