岡田氏「キリストの心をもって被災地と被災教会に仕える」

能登地震被災地の現状を語る岡田氏

「防災フェスタ2024」(町田防災ネットワーク〔町田牧師会〕、ミッションみちのく〔相模原牧師会〕主催)が5月4日、東京・町田市木曽東のオープン・バイブル・町田聖書教会で開催。能登ヘルプ代表の岡田仰氏(金沢独立キリスト教会牧師)が「『その時、地域の教会は』~能登ヘルプの支援活動から学ぶ~」と題して講演した。【中田 朗】
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最初に、岡田氏自身の被災体験を分かち合った。「1月1日は、ちょうど車に乗っていた。車が波に乗っている感じだった。今まで経験したことのない揺れで、これは大変だな、と。教会に戻ると、立てかけてあった家具がみな落ちていた。週報ボックスに入っているものも全部出ていた」
能登地震については、「内陸部で発生した地震としては日本でもまれな大規模地震で、津波、火災、土砂、液状化災害などが一度に狭いエリアで起こったことに特色がある」と説明。4月現在、7千戸が断水し、家屋の全壊・半壊・一部損壊を含めて7万戸あまり、避難者は震災直後は11万人だったのが4月時点で7千500人、と報告。「道路がひび割れ、なかなか被災地に入れなかった。金沢から輪島まで普段は2時間で行ける距離を10時間かかった人もいた。海の中だったところが隆起し、港が使えなくなる地域もあった」と語った。

一方、試練の中に見える神様のあわれみについても触れた。「今から20~30年前、珠洲で原発を巡る推進派、反対派の長く激しい戦いがあった。最終的に反対派が勝利し、原発は建設されなかった。珠洲に原発があったら、能登は復興どころではなかったかもしれない。住民が戦ってくれたおかげで今がある」
能登ヘルプ立ち上げから今日までの経緯についても証しした。「朝から晩まで能登地震のニュースが流れる中で、金沢の牧師たちは一様に、『通り過ぎる人でなく、良きサマリヤ人にならないといけない』という思いがあった。1月5日、石川県放送伝道協力会が中軸となり、キリスト全国災害ネット(全キ災)、九州キリスト災害支援ネットワーク(九キ災)などの災害援助団体、ハンガーゼロ、オペレーション・ブレッシング・ジャパン(ОBJ)、ОM日本など諸団体の援助をいただき、 能登地震キリスト災害支援会(能登ヘルプ)を立ち上げた」

働きの方針、理念としては、「キリストに仕える者として、キリストの心をもって、被災地と被災教会に仕える」を、組織は世話人会を作り、その管理下に事務部と実務部を設けたと話す。「神の家族への愛としての教会支援、この世への神の愛としての地域支援の2本柱で働きを進めた。毎週木曜日に世話人会を開催し情報共有して、諸課題を判断しつつ支援の働きを進めている。
その中で味わった恵みとして、▽多くの支援金が、海外よりも日本の教会から集まった。日本の教会の愛の力に励まされている、▽働きの軸を「主に仕えること」に置いたがゆえに、主が助け働いてくださる、▽様々な違いをもつ人たちが主にあって一つになっている(仏教系の記者から「仏教界ではありえない」と言われた)、などを挙げた。

また、支援の働きを通して教えられ、気づかされたこととして、、、、、、、、

2024年05月26日号 03面掲載記事)