鹿児島県・種子島で生まれ育った私は、高校を卒業して大阪聖書学院に入学しました。私にとって、大阪はまさに異文化世界でした。「自分(大阪では相手のことをそう呼ぶ)なにしてるん?」と言われ意味が分からず、ゴミを捨てようと戸惑っていると、「そこにほったらええがな」と言われ、大阪ではわざわざ穴を掘ってゴミを埋めるのかと誤解し、衝撃を受けたものです。そういう私も大阪で過ごしてきた期間の方が長くなってしまい、母校大阪聖書学院の教師として神学教育に携わってきました。

大阪梅田の地下を歩いていると、360度ありとあらゆる方向から歩行者がなだれ込んできます。けれども、なぜか互いにぶつかり合うこともなく歩いていくのです。当初はこの光景が不思議でなりませんでしたが、今や私もその一人となっているように思います。ばらばらのようだけれども、流れがあるのです。それは関西の神学校の特徴でもあるように思います。

関西には様々な神学校があります。教団立神学校も超教派のものもあります。当然、立場も違うし強調点も違います。けれども、不思議なことに、何かをやる時には、自然と共に集い協力します。神学的議論もするけれども、それはそれとして、プロジェクトには協力するという姿勢が培われているように思います。第6回日本伝道会議(2016年/神戸)では、関西地区の神学校から学生が集結し、様々な奉仕を担いました。昨年岐阜で行われた第7回日本伝道会議でも、奉仕の機会と共に、神学生交流会が開かれ祝されました。

福音主義神学会西部部会主催の研究会議では、昼食をはさみながら神学生交流会が持たれ、、、、、

(大阪聖書学院教師、恵みキリストの教会牧師)

2024年05月05日号 06面掲載記事)