「2024年日本長老教会平和学習会」(同社会委員会主催)が4月29日、オンラインで開かれた。金やすみ氏(同盟基督・塩尻聖書教会担任牧師)が「ジョン・M・L・ヤングと父ルーサー・L・ヤング 戦中と戦後の在日宣教に見る『神のことば』と宣教」と題して講演した。その内容を2回にわたり紹介する。

金やすみ氏

神と人愛する道模索し続け

以下は、講演内容の要約。
─長老教会の宣教師であったジョン・ヤングは、日本の戦後福音派教会の一つの源流となった人物だ。戦後、日本の教会が戦時下に行った神社参拝の罪を鋭く指摘し、悔い改めを促した。その神学の影響下に創設されたのが、東京基督教大学の前身校、東京基督神学校だ。来日後、すぐに日本長老教会四日市キリスト教会も開拓している。
ウエストミンスター信仰告白に立つ「絶対的聖書主義」の信仰を持ち、聖書は正統的かつ無謬であると堅く信じる「戦闘的な伝統的キリスト教の弁護者」とも言われる。彼の思想を探る上では、父ルーサー・ヤングの影響を抜きには語れない。ルーサーも徹底した聖書信仰に立つ長老教会宣教師であり、生涯をかけて朝鮮と日本での朝鮮人伝道に取り組んだ人物だ。
ヤング親子の宣教の根底にあったものは「聖書信仰」だ。だが、戦中と戦後の違う時代を生きた二人では、神社参拝の問題、教会合同を巡るエキュメニカルの問題への対応の違いが、顕著に現れる。
ルーサーは、カナダ長老教会の宣教師として、朝鮮と日本において朝鮮人伝道に従事した。在日朝鮮人伝道の職務を一任されたルーサーは、「朝鮮教会の自給伝道」を目標に日本全国を駆け巡り、精力的に宣教を行い、当時別々に活動していた各教派をまとめた超教派的性格を持つ在日本朝鮮基督教会を設立した。当時、日本社会で差別を受け、最底辺で生活していた朝鮮人対象の宣教は容易なものではなかったという。
その後、時局が厳しくなる中でも宣教を模索し、日本基督教連盟への合流と脱退、日本基督教会への合同にも加わるが、カナダへの引き上げ指示を受けて1940年に帰国。終戦後再来日した。
ルーサーの姿勢は、偶像崇拝の罪を犯した朝鮮人キリスト者への対応に顕著に現れる。それは、罪を犯したキリスト者に祈りと訓戒をもって働きかけ、寄り添い続けることだった。神社参拝を神への背きの罪として認識しながらも、罪を犯した者を非難し見捨てるならば、「神を愛し、隣人を愛せよ」(マタイ22・27~40参照)のうち「隣人を愛せよ」の戒めを破っていると指摘する。神社参拝は残念だが、罪なき教会も罪なきキリスト者もなく、一つの失敗だけで彼らを見捨てて交わりを断つのでなく、彼らに寄り添い、正しい福音を教え、訓戒することこそが神のみこころであるとした。
ルーサーの神学は、神のことばを語ることの上に立った「神を愛し、隣人を愛する」神学だった。それは偶像崇拝問題に顕著に現れたが、宣教の初期段階からすでに一貫したものであり、生涯で経験した4度の教会合同問題への対応にも現れていた。
ルーサーは、朝鮮人キリスト者が抱える苦悩をも理解していた、、、、、、
2024年06月02・09日号 07面掲載記事)