戦中の1942年6月26日、全国のホーリネス系教会(当時の日本基督教団第6部と第9部と結社)の牧師が、治安維持法違反容疑で一斉に検挙された。ほどなく教会は解散に追い込まれていく。その50周年を機に始められた「ホーリネス弾圧記念聖会」(ウェスレアン・ホーリネス教団、基督兄弟団、日本ホーリネス教団共催、基督聖協団、日本福音教会連合有志教会協賛)の第32回が、6月23日、東京・新宿区のウェスレアン・淀橋教会を会場に、オンライン併用で開催された。講演会では、日本基督教団の東京聖書学校教授、原田彰久氏がエレミヤ書3章25節から「我々も、先祖も」をテーマに語った。以下はその要約。

1889年に発布された大日本帝国憲法は、立憲主義に基づく近代国家としての天皇制を指向した。一方で神道国教化政策の挫折により、神道を「非宗教・国家儀礼」として、諸宗教の上に位置づけようとしたが、1930年にホーリネス教会は、神社は宗教であると主張して神社参拝拒否を年会で決議している。

原田彰久氏

国家主義の台頭は、35年の「国体明徴運動」以降顕著になる。軍部が「天皇機関説」を批判し、「国体(日本の国家体制)」を明らかにすることを求めた。天皇の現人神化が急速に顕在化し、39年には「宗教団体法」が成立、40年には「治安維持法」が改訂され、41年には「日本基督教団」が創立された。

42年の「弾圧」の理由は、治安維持法第7条違反。「キリストの再臨によって、天皇の統治、国体を否定している」。天皇に関して「帝王神権説(王権神授説)=神が王としての権威を与えた」に立つホーリネス派は、天皇を「王」として敬い、自分たちこそ、真の天皇の臣民であると考えており、当初、弾圧の理由が分からなかった。

この弾圧事件はいかに受け継がれたか。戦後、45年11月に行われた「復興感謝大会」では、治安維持法廃止で「免訴」となった車田秋次らと教団統理の富田満らが同席している。同じ弾圧受難や大変な時期を経験した者として、「あの時は大変だった」という共通認識があったと言えよう。当時の省みが不十分とはいえ、体験者自身にとっての困難さも留意しなければならない。神社参拝を罪として認識しながら、彼らに寄り添う「共感的対話」の姿勢が求められる。

60年代以降、当時の姿勢に批判的な態度が出てくる。67年には「日本基督教団戦争責任告白」が出された。ホーリネス教会のリバイバル運動は冷静に歴史を見る視点を提供できなかった、とする見方がある一方、自由主義神学だった日本基督教団は天皇制がはらむ偶像性を見抜けずそれに飲み込まれた、とする見解もある。ホーリネス教会が30年の年会で神社参拝拒否を決議し、裁判を通して信仰の自由を訴え国家と戦ったのは事実だ。

私たちはこれからいかに歴史と対話するか、、、、、、、

2024年07月07日号 02面掲載記事)