見えざるものに気がつくため ヘイスティング氏「賀川の幼児宗教教育論」
「賀川豊彦の幼児宗教教育論」と題し、「賀川フォーラム」が7月1日、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで開催。米国プリンストン神学大学Overseas Ministries Study Center元センター長・教授トマス・ジョン・ヘイスティング氏が講演した。賀川豊彦記念松沢記念館、東京ミッション研究所共催。1988年から20年にわたり日本に宣教師として滞在し、東京神学大学などでも教べんを執ったヘイスティング氏は、流暢(りゅうちょう)な日本語で講演を進めた。
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初めに賀川の幼児の宗教教育の前提として、当時の時代背景とそれを逸脱していく賀川の思想について解説。第一の逸脱として「当時主流であった『上から(トップダウン)」の宣教理論に真っ向から対立した」ことを挙げた。エリート階級に福音を伝えることにより「下方へ」福音が伝わっていくという当時主流の宣教方法に対抗し、賀川は「貧しい人々と親しくなりなさい」と呼びかけたのである。
第二に、天皇制国家主義に主導された国家の道徳教育に対する批判であると言う。賀川の「日本では愛の教育は全く行われていない。…愛の知らないところに、完全な神の姿を発見することは難しい。私は、幼稚園の子どもたちが遊んでいる間に愛を教えることから始めなければならない」との読売新聞への寄稿を紹介。さらに「下から」の代替案として「子どもの道徳的本能は自然の中で遊ぶことによって最もよく育まれる」と賀川の指摘を述べた。
第三に、賀川が当時の常識とされていた西洋の理論と実践に対して異を唱えたことを挙げている。
これらの三つの逸脱が「賀川が独自の幼児教育理論と実践を発展させた背景」であると同時に、1922年に長子が誕生したことで「賀川はより科学的で子ども中心の教育法へ関心を高めていった」と指摘した。
「賀川の自然を中心とした宗教教育の理論と実践」の「実験学校」として、松沢教会幼稚園(東京・世田谷区)を設立したことも紹介。松沢幼稚園では、「教科書や教師の経験や言葉を媒介して概念を学ぶのではなく、子どもたちはまず自分の身体を通して学ぶことを奨励された」と述べた。
最後に、賀川が92年にユニセフが「子どもの最善の利益を守るリーダー」として52人の一人に選んだことを紹介し、、、、、
(2024年07月21日号 03面掲載記事)