7月27日のパリオリンピック開会式は、「多様性と他者性」が全体テーマとなり、「ユーモアでステレオタイプを打ち破る」という演出意図で開かれた。自由、平等、友愛など12の章立てで進行。セーヌ川や歴史建造物の地の利を生かし、多様な背景やジャンルの出演者によって古典から現代までの様々な表現がなされた。

聖火点灯前の「祝祭」は、ダンスを中心に展開した。その中の一場面が問題となった。フランスのカトリック、プロテスタント代表を始め、各地のキリスト教代表者らからは「不快だ」など非難の声が上がった。

1分ほどの映像。食事が盛られた細長いテーブルに、全身を青く塗った裸に近い男性が登場し、歌唱した。背後ではドラァグクイーン(drag queen)やDJなどが横並びにポーズをとっていた。NHKの放送では「裸」という歌であり、「暴力による不条理さ」を表わしたと解説した。

ただ食卓の横並びの構図が、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」を思わせ、奇抜ないで立ちの人々による演出が、「キリスト教を侮辱している」ととられ、キリスト教会から声が上がった。

オリンピック組織委員会は、28日に会見して、「特定の宗教グループを傷つけるつもりはなく、包摂性を示すことが目的だった」と主張。「不快になった方がいたとしたら申し訳ない」と謝罪した。芸術監督は、「最後の晩餐」をモチーフとしたのではなく、オリンピックのルーツであるオリンポスの神々につながる、「多神教の一大パーティーを開くというアイデアだった」と言う。

世界教会協議会(WCC)のジェリー・ピレイ事務総長は、7月29日、国際オリンピック委員会とフランスオリンピック委員会に書簡を送り、開会式で「最後の晩餐」の描写とみなされているものについて緊急に説明を求めた。

「主の最後の晩餐とされる作品に描かれたキリスト教信仰が嘲笑され、多くのキリスト教徒が怒っている」として、「この概念の使用法と、それがキリスト教信仰に言及する意図があったのかどうかについて、詳細を説明してほしい」と求めた。また「最後の晩餐はキリスト教の信仰と実践にとって不可欠であり、いかなる形の嘲笑も最大の無礼と無神経さを示す」と述べた。

世界福音同盟(WEA)は、30日に、この問題への「応答」を発表。オリンピックの掲げる「卓越」、「友情」、「敬意/尊重」という3つの価値やスポーツの可能性を評価しつつ、開会式の問題が「逆の効果をもたらした」と批判。オリンピック組織委や芸術監督のコメントを受け、「たとえ意図的でなかったとしても、無礼が感じられた。街中に豊かなキリスト教のモチーフが飾られている歴史的なカトリックの国として、パリの人々がキリスト教信仰の最も人気のあるイメージの 1 つを認識していないのは残念」と述べた。

また「最後の晩餐は、友情についていくつかの教訓を与えてくれる」と解説。「キリストの愛を通してのみ、私たちは他者のために自分の利益を捨てる覚悟ができる。最後の晩餐は、真の和解と友情の代償についてじっくり考える機会なる」と語った。

ヨーロッパの福音派メディア「エバンジェリカル・フォーカス」は複数のキリスト教会代表者らの声を伝えた。フランス福音主義全国評議会(CNEF)のエルワン・クロアレック会長は、「もし目的が友愛と包摂であるならば、なぜ少数の信仰を標的にし嘲笑するのか?」。フランスプロテスタント連盟代表のクリスティアン・クリーガー氏は「すべての画像は多義的で、さまざまな解釈が可能」とした上で、「表現の自由から冒涜の権利を非難しないが、他者を軽蔑したり、傷つけたりすることは、決して言論の自由の本質ではない」。フランス・カトリック司教協議会は、「式典は全世界に美と喜びの素晴らしい瞬間を提供したが、キリスト教に対する嘲笑と侮辱の場面も含まれており、深く遺憾」とコメントした。