被爆モニュメント

「気持ち悪い。撤去して」

ある夏「お願いがあるのですが」と、隣のマンションの方が教会に来られました。手には数枚の写真と新聞記事を持って。お願いとは「被爆者が書いた原爆の絵を街角に返す会」の被爆モニュメントを教会に設置してほしいと。とても困っておられました。その方も被爆者の方で、悲しい思いが伝わってきました。「マンション前に被爆モニュメントを設置したのですが、入居者から撤去してほしいとの要望がでたのです」。ちょっと声が出ませんでした。

モニュメントは原爆投下の瞬間、教会近くの鶴見橋周辺の様子を書かれた絵と、書家・森下弘さんの書を陶板にしたものでした。足台には被爆し熱線で焼かれた広島電鉄の敷石が使われています。撤去の理由は住民の皆さんの意見で「気持ち悪い」「子どもたちが気味悪がる」「怖い」「もう原爆モノはいらない」「もう忘れたい」ということでした。少し耳を疑いました。この広島で原爆の悲劇をそのようにとらえる人たちが増えてきたのかと。次の世代の人たちに、原爆の悲劇をどのように継承し、平和を創造していけばいいのか。

森下さんは「ヒロシマの顔 夏になると子供たちは裸がすき だけど着物を脱がせてはいけない 真黒こげの 幼児がよみがえってくる」と書かれました。神様が教会に置きなさいと言われたと理解しました。広島教会には幼稚園、保育所があり、子どもたちの命を預かっています。原爆の悲劇を繰り返してはいけないのです。

 「負の遺産」ではない

1960年、現在の原爆ドームが撤去されそうになった時、広島YMCA の会員でキリスト者だった河本一郎さんと「折鶴の会」の子どもたちが存続のために署名活動を始めました。きっかけは、1歳の時に被爆し15年後白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが天に召される前に遺した日記の一節でした。「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう…」。原爆ドームは負の遺産ではなく、いつの時代にも繰り返してはならない、核兵器不使用を訴え、ここから平和を創造していく祈りと願いを世界に訴えます。

 「即時停戦」を祈る

ヨハネは「神様の御心に適(かな)うことを願うなら、神様はかならず聞き入れてくださる」と教えています。「願ったことは、すでにかなえられたと知る」と聖書は教えています。平和を覚える日を迎えた私たちにとって「平和」は神様の御心に適う願いです。ヒロシマにいる私たちが願う神様の御心です。

原爆投下から79年目の8月6日です。「平和」「平和」と叫び声がします。しかし、ウクライナ侵攻、パレスチナ・ガザ侵攻による虐殺はさらに拡大し、ミャンマー軍事独裁と世界各地で戦争、内乱によって一般市民、子どもたち、女性が犠牲になっています。さらに世界は核兵器使用の脅威にさらされています。私たちが願うことは「即時停戦」です。広島から毎日この祈りの声をあげます。広島は毎日がヒロシマ。だからここから祈りの声をあげていきます。

(2024年08月11日号 04面掲載記事)