書評 久保木 聡

性的マイノリティ(少数者)のクリスチャンが、「同性愛は罪」とする教会の伝統的な解釈に苦しんでいる。同性との性行為や同性婚を肯定するか否定するかは、従来リベラル対保守の図式で捉えられがちだった。そうした中で、聖書信仰に立って聖書の釈義や解釈に真っ正面から取り組むことによって、この課題に向き合おうとする機運が出てきている。藤本満氏の新刊『LGBTQ 聖書はそう言っているのか?』は、日本の福音主義神学から発信された初の本格的な問題提起だ。


『LGBTQ 聖書はそう言っているのか?』
藤本 満 著
A5判312頁、イクススeブックス、定価2,970円(税込)


【評者】久保木 聡
(くぼき・さとし)
日本ナザレン教団 大阪桃谷教会牧師
ドリームパーティー共同発起人

「同性愛は罪」を テクストと歴史から検証

『LGBTQ 聖書はそう言っているのか?』というタイトルに何を感じるだろうか。LGBTQとはL(レズビアン)、G(ゲイ)というそれぞれ女性として/男性として同性に性的指向がある人、B(バイセクシャル)というどちらの性別も性的指向がある人、T(トランスジェンダー)という身体的特徴から割り当てられた性別と自認する性別が違う人、またQ(クエスチョニング/クィア)という性的指向や性自認が明確でない人、定義づけたくない人を含む、性的少数者を包括して呼ばれる人を指す。
あるクリスチャンたちは、従来考えられてきた男と女のカテゴリーに当てはまらないゆえ、聖書から罪と語ってきた。本書はそれに対して「聖書はそう言っているのか?」と問いかける。
1章では「LGBTQ―歴史的展開」を描く。著者の藤本氏は『私たちと宗教改革 第1巻 歴史』や『聖書信仰―その
歴史と可能性』でも歴史を描くが、その辺は研究の中心であるウェスレー神学が組織神学ではなく、歴史神学だと言われるゆえんにつながるのだろう。事象の「今」を見るだけでなく「歴史的経緯」を見ていく中で、今はどういう文脈にあるのかを、明快に伝える。

「罪」とされる根拠の聖句を歴史的に解く

2章から7章は、創世記19章、レビ記18章、20章、Ⅰコリント6章9~11節、ローマ1章24~27節という、これまで同性間の性行為を罪とする上で根拠になった聖句を解き明かす。解き明かしの鍵となるのは「聖書の時代の人々は同性同士の性的な行動を思い浮かべたとき、それは『異性愛者』(多くは妻帯者)による過剰な性欲・情欲の発散と見」(137頁)ていたという視点である。つまり、そのような性行動は同性愛者が双方を人格として尊重して愛し合う姿とは別物なのだ。上下関係がなく双方の人格を尊重し合う同性愛が発見されたのは近代に入ってからである。
本書はそのように聖書が書かれた時代や現代という時代状況を鑑みながら、聖書釈義と解釈を非常に丁寧におこなう。その作業は、著者の見解と違う見解もごまかさずに紹介し、またさまざまな先行研究に触れながら、丁寧に、明快に論を進める。もしかしたら、神学教育を受けていない人は読むのが大変な個所かもしれないし、読むのにくたくたになるかもしれない。ただ、根気よく読み続ければちゃんとわかるように、藤本氏が書き進めていることに、著者の配慮と親切心がとても伝わってくる。

同性婚という選択肢

8章では、独身と同性婚について扱っている、、、、、

2024年11月03日号 06面掲載記事)