映画「ベトナムの風に吹かれて」--世界はひとつの村になった。人の情けが交わる場所
団塊の世代にとってベトナムは、1960年代以降の青春を象徴する印象深い国名といえる。第2次世界大戦後、フランスからの独立戦争(第1次インドシナ戦争)、62年からアメリカが介入したベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)、南北統一後の78年からの対カンボジアとの第3次インドシナ戦争、79年の中国との中越戦争と20世紀を戦争に明け暮れた国。だが、現在は国連の非常任理事国に選出され、貿易拡張のなかで目覚ましい経済成長を見せ活気にあふれている。かつてベトナムに平和をと反戦を叫んでいた団塊世代にとっては、そこで暮らすことは一つの願いが現実となった証。発展する経済社会の中で失われてほしくないものにも心の気づきが日々の営みを促してくれる。
ベトナムの首都ハノイ。佐生みさお(松坂慶子)は、日本語学校の講師で、外国向けラジオ放送ボイス・オブ・ベトナム(VoV)番組の日本語翻訳などにも携わっている。住んでいるアパートの1階はオープンカフェ。カフェの娘ランや近くの日本企業が経営するさくらホテルの従業員らは、日本語学校の生徒さんたち。カフェの常連さんは、向かいにある青年劇場のタィン支配人や守衛さん、日本人だが観光自転車シロクを運転して生計を立ているドエンなど、みんな気の置けない人たちで仲もいい。
ある日、日本語学校に日本から電話がはいった。新潟の実家の兄・雄一郎(柄本 明)からで、父が死んだという。急いで帰国すると、母親のシズエ(草村礼子)は、認知症が進んでいて、夫の葬式だということもわからない。後妻に入ったシズエの身寄りは、みさおしかいなくなった。みさおは、シズエをベトナムに連れていき一緒に暮らす決心をする。
昔話「浦島太郎」の竜宮城はベトナムのことらしいとも言われる。どこか懐かしい風景と人情の機微。シズエは元気に暮らすが、仕事に忙しいみさおには、認知症のシズエを看るのは想像以上に重い負担を強いていく。カフェを切り盛りしているランの母親フェや近所の人たちは年寄りのシズエに親切で、困っている人には手助けする儒教的な風習が生きている。
VoVに日本のリスナー坂口真希(藤江れいな)から「残留日本兵だった祖父が、ベトナムに残した家族に謝罪したい」という手紙が届いた。VoVの責任者トゥアンに頼まれてみさおはシズエを連れて真希を案内するのを引き受けた。山間に建つ家から聞こえてくる「埴生の宿」の歌。探し当てたスアンも息子のズオンも、真希の祖父のことは恨んでいないという。ただ「一度『お父さん』と呼びたい」と語るズオン。真希は、戦場カメラマン沢田教一に憧れて写真家を目指している。スアン母子とみさおたちと別れホーチミン市へと旅立った。
次の日、さくらホテルで「騒ぎを起こしている日本人が、みさおの知り合いだ」と言っているとの連絡が入った。元の夫とみさおが20代の時、いっしょに反戦運動のデモをしていた小泉民生(奥田瑛二)だった。家族はなく、仕事も窓際に追いやられる年になり、嫌気と自分探しに放浪する小泉。シズエの介護と仕事に忙しいみさおには、青春時代の甘い残り香が漂ってきた。
小松みゆき著『越後のBaちゃんベトナムへ行く』が原作のヒューマンドラマ。ベトナムに暮らす日本語教師と認知症の母親が、現地の人たちとの心の交流が生活者の目線で描かれている。認知症を患っているベトナムの大女優のため、当たり役を青年劇場の舞台で一回限り再演させようと奔走するみさおや劇場の支配人たちなど心温まるエピソードが多く盛り込まれている。今のベトナムの街並みの様子や、社会主義国家だが儒教の美徳が人々の心に息づいている生活文化が伝わってくる。
80年代以降、Web環境の進展で世界は、ますます一つの村のようになった。どこにいても情報は共有できる。どこの町や村でも、そこは人間同士の心が交流できる場所なのだろう。一方で、グローバリズムに煽られるかのように強まっていく個人主義の価値観。それだけに、松坂慶子が演じるみさおの落ち着きと若々しさがしなやかなたくましく、今の日本がどこかに置き忘れてきているように思わされる。 【遠山清一】
監督:大森一樹 2015年/日本=ベトナム/日本語、ベトナム語/114分/映倫:G/ 配給 アルゴ・ピクチャーズ 2015年9月26日(土)より新潟先行上映中、10月17日(土)より有楽町スバル座、なんばパークスシネマほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://vietnamnokaze.com
Fecebook https://www.facebook.com/pages/ベトナムの風に吹かれて/652162068262172
*Award* 2015年第39回モントリオール世界映画祭Focus on World Cinema部門正式招待作品。