医療刑務所の内部。無罪を叫び続けた奥西死刑囚もやせ細った手首に手錠をかけられ横たわっていたという。  (C)東海テレビ放送
医療刑務所の内部。無罪を叫び続けた奥西死刑囚もやせ細った手首に手錠をかけられ横たわっていたという。  (C)東海テレビ放送

1961年(昭和36)、三重県で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。名張市葛尾の小さな集落の懇親会でぶどう酒を飲んだ15人の女性のうち5人が死亡した事件の奥西勝死刑囚(逮捕当時35歳)。66年(昭和41)に静岡県清水市(当時)の味噌工場で一家4人の焼死体が見つかった「袴田事件」の袴田巌死刑囚(逮捕当時30歳)。いずれの裁判も証拠品の実証性は希薄で、自白を拠り所とした死刑確定判決のおよそ半世紀にわたって無実を叫び再審請求を繰り返し提出してきた二人の死刑囚。その再審裁判の経緯と二人の死刑囚の無実を確信し、支え続けてきた家族と支援者をとおして浮かび上がる現代の裁判制度の闇の部分を衝いているドキュメンタリー映画。

2014年4月、袴田死刑囚(79歳)は48年ぶりに釈放された。弁護団が実行犯が来ていたとされる作業着の血痕から採取したDNA鑑定を第2次再審請求み提出し、静岡高裁が再審開始をが決定した。だが、検察はDNA鑑定に対する疑義を理由に即時抗告。釈放されたものの身分は“死刑囚”のまま、年金も選挙権も認められていない。3歳年上の姉・秀子が、無罪釈放で釈放されたら家賃収入で生活できるようにと建てたマンションで、二人暮らし。袴田死刑囚は、部屋や廊下を行ったり来たり歩き回る。長い独居房生活による拘禁反応だ。マンションから外出することもない。

一方、奥西死刑囚の7度目の再審請求で名古屋高裁は、死刑判決の決め手の証拠となった王冠が本事件に使われたものでない可能性があるとして再審請求を決定した(2005年)。だが、死刑執行を停止してものの奥西死刑囚の釈放は認めず、検察は再審開始に異議申し立てをした結果、再審開始について審理中となった。

元プロボクサーだった袴田死刑囚は、ボクシング協会の事務局の人も励ましに来ては将棋を指す。鎌田監督も取材をとおして将棋を学び釈放された袴田死刑囚と一局指せるまでになった。 (C)東海テレビ放送
元プロボクサーだった袴田死刑囚は、ボクシング協会の事務局の人も励ましに来ては将棋を指す。鎌田監督も取材をとおして将棋を学び釈放された袴田死刑囚と一局指せるまでになった。 (C)東海テレビ放送

2013年、最高裁は「名張ぶどう酒事件」の第7次再審請求を棄却。その後、奥西死刑囚は肺炎で緊急入院。身柄は八王子医療刑務所移され、寝たきりになった。逮捕後、自白した奥西被告だが、彼の無罪を信じ刑務所での面接と手紙を送り続けた母・タツノはすでに他界。第8次再審請求を提出した妹の美代子は、たった5分の面接のために5時間かけて面接に足を運んでいた。だが、89歳になった奥西勝死刑囚は、2015年10月4日に再審開始を待たずに病死。駆けつけた妹・美代子の隣りで鈴木泉弁護士は、状況証拠しかなく「再審の手続きのなかで次々と新しい証拠が裁判所に提出されているにもかかわらず、誤った裁判を正そうとしない裁判所に強い憤りを覚えます」と、報道陣に語った。

東海テレビ放送では、「名張毒ぶどう酒事件」の冤罪疑惑を28年前から追い続けている。一審無罪判決から高裁では自白を根拠に死刑の逆転判決。その信ぴょう性と再審制度の問題点をドキュメンタリーや奥西母子の獄中往復書簡のドラマ映画などで提示してきた。通常はなしえない確定死刑囚本人の直接取材が、袴田死刑囚の釈放と家族との同居生活、支援者らとの交流をとおして再審開始への遠い道のりを描いている。さらには、検察は容疑者の有罪を確信して起訴するため、裁判に提出される証拠は有罪を裏付けるためのものだけになる問題性。帝銀事件の平沢貞道死刑囚の養子となった武彦が、平沢が獄中で描いた絵画展を開催しながら長期の再審請求を引き継いでいたが1989年に逝去。請求人は確保されないままになっている。新たな証拠、新事実を探し出し、自己検証して再審請求を提出する弁護団の苦労と次世代の若手弁護士に引き継ぐための検証研究会の様子。
いつ、明日は我が身になりかねない“自白”偏重による死刑判決と開かれない再審制度の闇に、事実を裏付ける証拠の光を提示する人たちの確信と義憤が粘り強く伝わってくる。 【遠山清一】

監督:鎌田麗香 2015年/日本/85分/ドキュメンタリー 配給:東海テレビ、配給協力:東風 2016年1月16日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト http://www.futarinoshikeisyu.jp
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