映画「ヒロシマ、そしてフクシマ」--”放射線というものは人間の手にはおえない”
ヒロシマに原子爆弾が投下された日から被ばく者の治療し、戦後も生存者の診療に尽力してきた肥田舜太郎医師(96歳=撮影当時=)。GHQが隠し続けていた放射線内部被ばくによる病症と問題性を告発し、核のない平和な日本の形成に向けて医師として行動している姿を追ったドキュメンタリー。フクシマ原発事故後も、放射線被害の実情を真摯に見つめようとしないこの国の在り方に、戦後70年間携わってきた放射線被ばく医療に携わってきた医師の言葉は重くて強い。
【あらすじ】
肥田舜太郎医師。若い軍医として広島市に赴任したが、原爆が投下された1945年8月6日は郊外の戸坂村へ往診で不在だった。だが、その日の午後には市内で担ぎ込まれる被ばく被害者の治療にあたった。以来、戦後も一貫して広島・長崎の被ばく生存者を診療し続けた。
2011年3月11日、東日本大震災。大津波による福島原発のメルトダウン。肥田医師は、原発事故の被災者が暮らす福島県いわき市へ赴き、助言と診断とともに励ましン言葉を送り続ける。
肥田医師は、広島で原爆の爆撃を直接受けた人も、当日は広島市にいな勝った人も後になって突然発病し、直接被ばく者と同じ症状で亡くなっていく現象に疑問をいだいた。だが、当時は原爆に関するあらゆることが機密事事項のため、医療のための情報提供は一切ない。1947年、東京へ転居しGHQに情報提供を求めるが追い返される日々。同じ症状でなくなる原因が“内部被ばく”であることを突き止めるのに30年かかった。
福島で採集した蝶の世代間異変を研究し、海外では高く評価された「福島原発後の生物学的影響」を発表した研究者・野原千代氏を訪ねる。また、東京・関東の子どもたちの白血球数値の低下に警鐘を発する三田茂医師らを取材しその意見を紹介する。だが、放射能の影響は些少であるかのような喧伝がなされている…。
【見どころ・エピソード】
フランス人監督マーク・プティジャンが、映画「核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝」(2006年)に続き再び肥田医師に密着し、福島原発事故の被災者たちが暮らす町での活動や沖縄での講演会の模様を取材。予告編などでも語られている肥田医師のことば、「いわゆる放射線被害というものは、どんな形であれ二度とあってはいけない。どんな小さな規模と言って、専門家が安心だと言っても、全くの嘘ですから。放射線というものは人間の手にはおえない。」との確信を得た足跡に注目したい。 【遠山清一】
監督・撮影・編集:マルク・プティジャン 2015年/日本=フランス/80分/原題:De Hiroshima a Fukushima—Le combat du docteur Hida 配給:太秦 2016年3月12日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。
公式サイト https://doctorhida.wordpress.com
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