創愛キリスト教会顧問牧師・堀越暢治氏逝去 創造主の名による日本宣教を訴え

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創愛キリスト教会顧問牧師で、ノアの箱船記念館館長の堀越暢治氏が、8月30日に老衰のため逝去した。91歳。創造主の名による日本人99%への伝道を訴え、『創造主訳聖書』刊行の中心となって尽力した。

 1962年に日本長老教会四日市キリスト教会牧師として赴任し、以降四日市に留まり続けながら伝道生涯を全うした。99年、73歳で創愛キリスト教会を開拓。またいのちありがとうの会を組織し、いのちをテーマにした宣教にも力を注いだ。9月1日と2日に行われた葬儀では、在りし日のメッセージビデオが上映され、往時の姿をんだ。以下、晩年を身近で仕えた孫斉賢氏(創愛キリスト教会協力宣教師)の追悼文を紹介する。

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 創愛キリスト教会の新会堂献堂式の2日前に転倒して大腿骨を骨折、約100日間の苦しい入院生活を余儀なくされた。8月25日に退院し、27日の礼拝には最期の力を振り絞って出席された。旧会堂を改装してオープンした「ノアの箱船記念館」もはじめて見学、ご家族や教会員とお別れのあいさつを終えて安心したかのように、8月30日朝8時20分、眠るように息を引き取られた。

 「さあ、いよいよ始まるぞ。まだまだやることがいっぱいあるんだ」と、病室では相変わらずつぶやいておられた。退院当日も、「いつ話をしたらいいんだ」と言われて驚きを禁じ得なかった。創世記1章を伝えなければ、今の人類はノアの3人の子どもの子孫だから争いなどやめて仲良くしなければと、いよいよ訴えて歩きたかったに違いない。

 四日市という地方に300人規模の教会を形成し、中部や関西の教会開拓を数多く助けた。地域の方の要望によって幼稚園を開設、伝道の大きな基盤になった。忙しい牧会生活の傍ら多くの著作やテキストを残し、外国にもたびたび足を運んで貪欲に学び続けられた。何度も死の淵をさまよい、家族を顧みずに牧会と宣教に一心に走り抜けて行かれた。どれほど与えられた使命に全精力を注ぎ尽したか、誰よりもイエスさまはご存知だ。

 先生については、「決してぶれない人」と多くの人が口をえて評する。頑固でこわい性格なのかと思いきや、身近に接してみてわかったのは、どんな意見も受け入れるやさしさの人であり、決して人を悪く言わない柔和な方だったということだ。すべてが創造主の作品なのだからと、一人ひとりを心から大切にいつくしんでおられた。何かうれしいことがあると、よく近くの回転ずしに誘っていただいた。決してうことやということを知らない、少年のような純真で、ありのままの生活を貫かれた。

 前夜式、告別式には、多くの方が出席してくださった。宮崎聖牧師のメッセージを通して、古くからの方にも日の浅い方々にも、今一度、先生が訴え続けた内容を共有することができた。何かお手伝いできることがあればおっしゃってくださいと、何人かの方が声をかけてくださった。けっして、先生は孤独などではなかったのだと、私の考え違いを教えられたような気がした。

 「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116篇15節)。晩年の6年間、一番身近でお仕えできたことの幸せをみしめている。ここに送ってくださった主のみこころを、ようやくわかりかけた気がしている。堀越先生、ほんとうにありがとうございました。

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