2018年03月11日号 03面

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 ブラジル・サンパウロの日系人教会が心待ちにしていた第15回ブラジル・アシュラムが、「私にとっては、生きることがキリスト」のテーマで2月9日にホーリネス・リベルダーデ教会(サンパウロ市)を会場にして行われた。主催はブラジル・アシュラム、後援はブラジル日系キリスト教連盟。

 講師は日本から榎本恵氏(アシュラムセンター主幹)を迎えた。榎本氏は、長旅の疲れを覚えながらも開会メッセージ、オリエンテーション、講義、充満の時のすべてを担当した。

 榎本氏は開会メッセージの中で、桜美林大学の創設者である清水安三氏が、終戦直後、学校設立目的の募金活動のため、日本全国はもとより北米そしてブラジルまで来たことについて語られた。その当時、ブラジルの日本移民は戦後の荒廃した祖国を思い、北米経由で多額の募金を送った。その募金活動の中心的役割をブラジル現地で担ったのがブラジル聖公会の弓場繁、ブラジル自由メソジストの小野助一の両牧師だったという。晩年、清水氏は「桜美林が存続する限りこの弓場、小野の名前は決して忘れてはならない」と言い残している。

 当時、清水氏は北米のオベリン大学から援助を期待して申請したが、「ノー」という返事をもらい、道が閉ざされたという。しかし、意外にもブラジルの日本移民から募金が集まった。聖書では、使徒パウロも第2回宣教旅行のとき、彼なりに考えていたルートがあった、しかし、それらの道がまったく閉ざされてしまった経験をする。しかし意外にも別の道が開かれたことで、ヨーロッパ大陸に最初の教会を設立する至った、それがピリピの教会であった(清水安三氏は二十数年後の1968年にオベリン大学より名誉博士号を受ける)。

 こういうことから、たとえ道が閉ざされた状態に置かれても、信仰を持って神を待ち望めば、必ず別の道を神ご自身が私たちに備えてくださるということを強調され、参加者全員を励ました。

 今回はおよそ60人の参加者があった。顔ぶれも日本人だけでなく、日系人、そして純ブラジル人の参加も目立った。その証拠に、日本語のファミリーが5つ、ポルトガル語のファミリーが3つの計8ファミリーができた。このファミリーは1年間とりなしの祈りをすることを互いに約束する小グループのことである。

榎本氏は来年もブラジルに来てアシュラムを指導する意欲を示した。

 榎本氏はこのあと、サンパウロ市から330キロ奥地のバウルー市に移動、2月4日の主日礼拝の後、2泊3日のアシュラムにて奉仕をした。(レポート=宮島熱示・ブラジル長老教会 ペーニャ教会協力牧師