2018年03月11日号 04・05面

お茶話に盛り上がる
岩手県の山田町は2011年の東日本大震災の時、津波と火災で大きな被害にあった町だ。家や家族、親族、知人、仕事などを失った住民は、今もその時受けた様々な傷を抱えながら生活している。気楽にお茶話ができる交流ぷらざ「いっぽいっぽ山田」(岩手県下閉伊郡山田町長崎2ノ7ノ28)は、そんな山田町の人々の憩いの場だ。
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2月17日土曜日、山田町を訪れた。牡蠣の産地で知られる山田湾の海は、カモメが羽を休める光景が見られ、大津波があったとはとても想像できないほど穏やかだった。だが、町を巡るとそこかしこでかさ上げ工事や復興住宅の建設、来年には開通するというJR山田線や陸中山田駅の突貫工事が行われていた。湾岸にはすでに9メートルの高さの堤防も築かれている。
「いっぽいっぽ山田」の建物は、海側から少し内陸に入った場所にあった。カフェテラス付きの2階建てプレハブ式ユニット住宅。以前は海側の国道45号線沿いにあったが、移転を余儀なくされ2年前に引っ越してきた。ビーズ作りをする子どもたち
午前10時にカフェが開店。コーヒーやケーキ、お菓子が備えられている。全国の教会から献品として送られて来たものだ。すでに「常連さん」が1人、2人と集まっていた。話し相手は一般社団法人〝いっぽいっぽ岩手〟現地スタッフ・リーダーの篠原めぐみさんと、香港SEND短期ワーカーの巖家倫さん。
常連だという70歳過ぎの女性Yさんは、午前中はカフェで、コーヒーを飲んでお茶話をして、元気になって帰るのが日課だと語る。同じくTさんは「子どもがいるだけで若さをもらえる」と喜ぶ。
だが2人とも、震災当時のことは昨日のことのように語ってくれた。「津波で家々がぐちゃぐちゃになり、町が3日間燃え続けた。役場の人がまるで空襲みたいだと言っていた」、「死体がどこにあるか分からないので、魚を食べるのには半年かかった。まだ見つかっていない人もたくさんいる」、「避難所にホテルのコックさんが作ったローストビーフが届いた。本当においかった。ありがたくて、みんな泣いていた」
11時頃は、篠原さんによるバイブルタイム。参加は自由で、この時間になると帰る人もいるが、ほとんどは残っていた。篠原さんは、旧約聖書のヤコブ物語から「だましたりだまされたりのヤコブのように、私たちの人生も立派じゃないけれど、神様が私たちのすべてに心を配ってくださっていることを忘れないで」と語りかけた。習字
午後は福島在住で香港人のミニー・リー宣教師と香港女性5人がボランティアとして参加。続々と地域の子どもたちが集まり、香港のメンバーとカードゲームやビーズ作りなどをして遊んでいた。
また、土曜日は山田町で生活する元漁師の佐藤練太郎さんによる書道教室の日。利用者が佐藤さんの指導を受けながら、一生懸命筆で字を書く姿が見られた。佐藤さんは、震災の日、津波で流されそうになったが、佐藤さんのいた四畳半の部屋だけが切り離されたおかげで九死に一生を得たと話す。山田町の記録を残そうと、友人と協力し写真集も自費出版した。「私は生まれも育ちもずっと山田町。ここはホッとできる場所ですね」とはにかんだ。
営業時間は午後5時まで。その日は常連の利用者に加え、27人の子どもが出入りする、賑やかな1日となった。ケーキ
「いっぽいっぽ山田」はOMF岩手支援プロジェクトの拠点として12年6月6日に開所。OMFの働きは14年5月で終了したが、この働きを継続するため、「一般社団法人いっぽいっぽ岩手」を設立。その一つとして交流ぷらざは活動を続けて来た。同所では、日本福音キリスト教会連合(JECA)の開拓教会、三陸のぞみキリスト教会の礼拝や教会主催のビーズ教室や月1回の子どものためのお楽しみ会「ジョイキッズ」も行われている。「社団法人はJECAと連携し、包括的福音宣教に取り組んでいる」と言う。
1年以内にすべての復興住宅は完成すると同時に、この夏秋には仮設団地入居7年の期限を迎え、自立再建の目途が立って特定延長許可を得ている人以外は仮設を出なければならない。「仮設団地も集約・閉鎖となり、支援の形もまた変わっていくと思いますね」と篠原さんは語った。問い合わせはTel0193・77・4343。
バイブルタイムいっぽいっぽ山田山田港