真実和解委員会に聖書的発想を反映

アパルトヘイト後の南アフリカで民族融和政策をとり、同国の和解と平和に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞し、2013年に亡くなったネルソン・マンデラ元大統領が、7月18日生誕100年を迎え、同国では記念紙幣を発行するなどして祝った。マンデラはアフリカ民族会議(ANC)の指導者(1991年議長就任)として反アパルトヘイト闘争の先頭に立ったが、メソジスト教会で洗礼を受けたクリスチャン。大統領として推進した「真実和解委員会」などの政策には聖書的な発想が反映しており、長年の民族差別による人種・部族間の不信感を払拭する基盤を築いた。

獄中の真摯な態度に看守も感動

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラは1918年7月18日、コーサ族の首長の子として生まれた。後に発揮された寛容の精神は、部族の教えに負うところもあると言われる。メソジスト派の高校を卒業後に進学した大学では学生運動を主導して退学処分を受ける。その後、通信教育で学士号を取得したほか法学も修めた。

1944年ANCに入党すると青年同盟を創設し、50年その議長に就任。若いころから反アパルトヘイト運動に指導的役割を果たした。当初は非暴力路線だったが、政府による弾圧を機に一時マンデラも武装闘争路線に転換。64年に国家転覆罪で終身刑を受け、以後27年間にわたり投獄されていた。獄中でも勉強を怠らず真摯な態度を貫き、その高潔な姿勢は看守をも感動させたという。

全人種参加による祖国復興目指す

国際的な世論の圧力もあってデクラーク大統領は90年、ANCなど禁止されていた政治団体の活動を許可し、マンデラを釈放。マンデラはANC副議長となり、デクラーク大統領とともにアパルトヘイト廃止の道筋をつけた。この時期には白人右翼勢力と黒人勢力間や、黒人諸勢力間でたびたび衝突が起きたが、ANCは諸勢力との粘り強い話し合いにより武力衝突を抑え、94年初の全人種参加選挙にこぎつけた。

この選挙でANCが圧勝し、マンデラが大統領に就任すると、植民地支配から解放された他のアフリカ諸国の多くが白人を公職から追放するなど黒人中心の政策をとったのに対し、マンデラ政権は「虹の国」構想を掲げ、全人種参加による祖国の復興を目指した。

告白と赦しの政策「真実和解委員会」 福音派も悔い改め

そのためにマンデラが提唱した代表的な政策が「真実和解委員会」の創設だった。これはアパルトヘイト時代の人種差別的な言動を自ら申告すれば免責するというユニークな政策で、罪を言い表し悔い改めれば赦されるという聖書の福音を彷彿とさせる。委員長には聖公会の反アパルトヘイト運動指導者デズモンド・ツツ大主教が任命され、ツツ氏もノーベル平和賞を受けた。

「真実和解委員会」は実際に対立していた諸勢力・人種間の和解を促し、独立後に諸部族の抗争に陥ることの多いアフリカ諸国の中で「奇跡」と言われ異彩を放った。アパルトヘイト時代、反アパルトヘイト闘争は「政治運動」であり教会が関わるべきではないと考えて沈黙していた南アフリカ福音同盟はじめ福音派の諸教団・団体も、沈黙の誤りを認めて悔い改めの声明を出し、真実和解委員会に謝罪を申告した。

マンデラ元大統領、ツツ大主教らメインラインのキリスト者が南アフリカの人種差別体制の中で地の塩となったのに対し、福音派は福音の力を社会に示すことができず、むしろアパルトヘイトに加担してしまったことの反省は、福音に立って社会的責任を果たすべき教会の使命を再認識させたと言えよう。(根田祥一)

 

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