2018年09月09日号 01面

 全国のキリスト教学校および公私立学校教員で人権教育に関心をもつ教職員やキリスト者、市民、保護者、学生ら共に学び交流した。全国キリスト教学校人権教育研究協議会(関田寛雄会長・連絡先日本キリスト教協議会[NCC]教育部)は「第29回人権教育セミナー」を8月16〜18日に、高知県南国市の清和女子中高等学校で開催した。テーマは「共に喜ぶ世界を創るために−SAY☆WA−」。セミナーの概要をNCC教育部がレポートする。

2018高里鈴代

写真=高里鈴代さん

 今回のテーマは会場校である清和女子中高の校訓と校名をそのままお借りしました。空路、陸路とも台風の影響による遅延運休の中、全国から70名が参加しました。四国山地を越えて高知まで行くのはエネルギーのいることでしたが、帰宅時には数倍のエネルギーを与えられるのが「全キリセミナー」です。校舎を文字通り磨き上げて迎えてくださった清和女子中高の先生方のホスピタリティーに感動し、講師陣の熱に感動し、セミナーで知り得た高知人の気概と鰹の美味しさに感動した3日間でした。

 開会礼拝は高知教会において「網を捨てて得たネット」と題し、相澤弘典さん(松山城南高校・牧師)が担当され、幼少期の学校での被差別体験時、暖かく支えてくれた教員との出会いを通して人権教育の原点が語られました。

 主題講演は沖縄から高里鈴代さん(「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表」)をお招きしました。辺野古での抗議活動中に肋骨と鎖骨を折る負傷をされるなど、日本政府の沖縄への差別政策の厳しさを身近に知ることとなりました。翁長知事亡き後の大変な状況の中、人々の精神的な支柱である高里さんが、2泊3日全キリ人権教育セミナーに参加してくださった恵みと重みをひしひしと感じました。「沖縄の今を通して平和・人権と暴力を考える」との演題の元、参加者各人の「少しは知っているつもり」を打ち砕き、胸をえぐられるような性暴力の実態と現況への問いかけでした。殴らなくても威嚇(いかく)だけで萎縮させ黙らされてしまう暴力の本質とその傷の深さ、だからこそ「黙らない」ことが重要であり、それはあらゆる人権侵害に共通するものです。

 部落差別問題を扱った第1分科会は「“地球にやさしく、光る町”」とのテーマの元、その地域を歩き、祭りの練習見学や防災タワーに登るなどのフィールドワーク。

 第2分科会は「あなたはいつ自分を異性愛者と決めましたか?」という逆説的なタイトルでした。同性愛者やトランスジェンダー当事者が日々頭から離れない自分の性自認・性的指向・カミングアウトについて、マジョリティーである異性愛者がこれまで考えたこともなかったという事実の非対称性を、ディスカッションにより痛感させられました。

 第3分科会は松山にある四国で唯一の朝鮮学校から李一烈(イ・イリョル)校長先生をお招きしました。「オキナワ」だけでなく「ザイニチ」も日本政府から差別的な扱いを受けている現実を学びました。どんなに小規模で少数者でも民族と学校の存在を守る父母たち、生徒たち、先生たちのことを聞き、胸を打たれる分科会でした。

 第4分科会は「『発達障がい』者、貸し出します!」との衝撃的なタイトルのワークショップでした。リビング・ライブラリーという試みをご存知でしょうか?図書館で貸し出される「本」に「生きた人間」(マイノリティー、人権問題当事者)を見立て、本が借り出されるように、その人物が招きに応じて出向き、インタビューに答えて対話するというものです。情報量、適応力などにおいて最初から不平等な条件下に置かれて競争社会を生きざるを得ない実態と、接し方についても深く学ぶことができました。

 高知ならではの人権の歴史も学びました。「教科書をタダにした闘い」(解放出版社、2017年)を書かれた吉田文茂さんからは長浜の教科書無償運動の経緯、「平和資料館・草の家」見学、特高による拷問が元で亡くなった槇村浩の詩碑、日中不再戦の碑巡りをしました。

 聖書研究は、関田寛雄牧師により「預言者エリアにおける宗教と国家─その信従と抵抗の生涯をめぐって─」の題の元、国家主義体制が強化され、差別と排外の気運が広がりつつある日本社会にあって、国家の悪魔化に抵抗した預言者エリアの生涯をⅠ列王記17、19、21章から説かれました。人に寄り添い、神に願うキリストの姿が示されました。

 派遣礼拝は諏訪榮治郎さん(カトリック高松教区司教)。私たちが「道しるべ」として歩み出すために、キリストと弟子との協働の姿が指し示されました。

 毎朝のオルガンやピアノ演奏、祈りと賛美によって豊かに養われました。最後に、「地方」の小規模校がその「小ささ」に誇りと心意気をもって教育活動をされていることをお伝えし、お祈りくださいますようお願いし報告といたします。