2018年12月23・30日号 24面

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「誰も必要としてくれない」「生きていてもしょうがない」「助けてください……」─電話の向こうから悲痛な叫びが聞こえる。風光明媚(めいび)な観光名所、南紀白浜の三段壁。美しい断崖は自殺の名所としても知られている。この場所に立てられている「いのちの電話」の看板。この電話は藤藪庸一牧師(白浜バプテストキリスト教会)につながる。働きを始めて20年。これまでに905人(2018年10月現在)の自殺志願者を死の淵から救ってきた。また、その助けを求めてきた人の生活再建を目指して共同生活を送り、家族も仕事も失った人たちの働く場として、弁当配達を行う食堂も運営する。この働き、その生き方を追ったドキュメンタリー映画「牧師といのちの崖」が一月から順次公開され、同時にその働きの中での藤藪さんの苦悩と葛藤、将来向けての幻(ビジョン)を書きつづった『あなたを諦めない』(いのちのことば社フォレストブックス)が発売される。【宮田真実子】

日本全国の自殺者数は年間2万千321人(2017年)。1日あたり60人近い人が自ら死を選んでいるという計算になる。厚生労働省の「自殺対策白書」では、15歳から39歳の各年代の死因の第1位が自殺で、大きな社会問題となっている。
「この国に異常な事態が起こっています。今、この瞬間も、どこかで誰かが孤立し、生きる希望を見失い、死の淵へと追い込まれ、SOSを発しています。そういう人と出会ったときに、たとえ解決法が見えなくても、そばにいることをやめない。私が一貫してやり抜いたことは、その人を諦めないことだけでした」port
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三段壁に「いのちの電話」の看板が立てられ、自殺救助活動が始まったのは1979年。白浜バプテストキリスト教会の江見太郎牧師が始めたものだ。江見さんが学生の頃、結ばれぬ運命を悲観した若い男女が三段壁から投身心中するという痛ましい事件があったことを知り、「自殺に追い込まれるような人々を救いたい」と看板を設置した。
99年、藤藪さんは妻の亜由美さんとともに、藤藪さんが育ったその教会の牧師の任を引き継ぎ、同時に自殺救助の働きも継いだ。26歳だった。若さゆえに、早すぎるのではないかと反対する人も多かったという。その時の思いを藤藪さんはこう語る。「私にとってこの活動も引き継ぐことは当たり前のことだった。助けを必要としている人がいる。ならば、教会は助けの手を差し伸べるべきだ。伸ばした手を引っ込めるわけにはいかない。
ここで試されたのは、牧師としての使命感でも信仰でもない。神が人間に与えてくださった『良心』だった」
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牧師になろうと思ったのは、小学六年生の時。テレビでアフリカの難民キャンプを取材したドキュメンタリーが放映されていた。飢餓のため命を落とす子どもたちが1日2万人以上(当時)もいると知った。「僕は何の不自由もなく生きていける環境が与えられているのに、どうして彼らには与えられないのか。自分に与えられたものを何のために使えばいいのか」IMG_0162まちなかキッチン
藤藪少年は、キリスト教の聖書に答えを求めた。
「自分を犠牲にして人を助けた神の子イエス・キリストを知り、将来牧師になると決めたのです。お金はないけれど、イエス・キリストのことを伝えることは、自分にもできる。そして、自分も誰かのために犠牲を払うことのできる人になりたい、と思ったのです」
NHKの人気番組「プロフェッショナル」(2012年放送)に出演した藤藪さんは、番組の最後に必ず聞かれる「プロフェッショナルとは?」という問いにこう答えた。
「自分のだめなところと、足りないところが本当にわかった時に、それをちゃんと認めて、それでも諦めないで次に向かっていく、また成長していこうとする人」
放送後、視聴者から「命に関わることはやめておいたほうがいいのでは」という電話がかかってきたこともある。
「心を込めて関わった人が、その後自殺してしまうこともあった。自責の念にかられ、この働きの重さを痛感した。でもそれを恐れて命を絶とうとする人と関わらない道を選ぼうとは思いません。彼らと向き合うときに、イエス様ならどうするかと自分に問うています。そして、関わった彼らが、最後にイエス様の十字架を思い出してくれたらと祈り願っています」IMG_1200
助けた人たちと関わる中で、今の日本の問題点にも気づいた。それは子どもの教育問題にも及ぶ。今の藤藪さんの願いは、一度は居場所を失った人たちの、終(つい)の棲家(すみか)にもなり得る長屋を作ること、そして学校を始めること。
藤藪さんが、現在まで、信念を貫き、ぶれずに進んできたかというと、そうでもない。学生時代も、牧師として自殺者救助の働きを始めた後も、何度も挫折を経験している。
苦手な収益事業を行う中でリーダーとしての資質の無さを感じるなど、自らの弱さを痛感し、苦悩し、葛藤する姿が映画にも本にも描かれている。
「自分を含む誰もが失敗を繰り返す存在であり、自殺とも紙一重。しかし誰のいのちも神に愛された大切なもの、だから諦めない」─その当事者意識が、この働きへと藤藪さんを押し出しているのだろう。
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