2019年02月03日号 04・05面

 茨城県の西北部に位置する筑西市。梨やお米の産地として知られ、農業が盛んな一方、首都圏に近いため複数の工業団地が造成され、関東内陸工業地域の一角をなしている地域でもある。この筑西市で40年間、親子2代で地域医療に携わっているのが大田医院(西方1684ノ1)院長の広川国義さん(70)=単立・幸町キリスト教会員=だ。広川さんは「医療と宣教は、私にとっては開業の一つの条件だった」と語る。IMG_3236
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東京から約2時間あまり。宇都宮線に乗り、小山駅で水戸線に、下館駅で関鉄常総線に乗り換えて大田郷駅で下車。そこから歩いて10分ほどの所に大田医院があった。
記者が訪れたのは1月半ばの午後6時過ぎ。風邪やインフルエンザの流行で、待合室には診察を待つ人々であふれていた。見ると、子ども連れや高齢者、そして日本で働く外国人が多い。取材は6時半からの予定だったが、6時半を過ぎても診察は終わらず、結局、すべて終了したのが8時過ぎ。医師は院長の広川さんだけなので、忙しくても一人で全員を診なければならない。限られた医療設備と人員で何でもしなければならない地方の現状を、目の当たりにした。
待合室を見渡すと、キリスト教の医院だということがひと目で分かる。壁には「病者の祈り」という有名な詩が貼ってあり、受付の棚には教会やゴスペル教室などの案内が置いてある。待合室入口近くには、聖書の備え付けもあった。
テレビ画面からは、BS朝日のドキュメンタリー番組「医師・日野原重明105歳〜自分の死と向かい合った最期の瞬間〜」が繰り返し流されていた。診察を待つ高齢者や子連れの主婦たちが食い入るように見ている姿が印象的だった。IMG_3233
「日野原先生の番組は、栗﨑路先生(幸町キリスト教会牧師)が録画してくれたものなのです」と広川さんは語る。娘の利百加さんは、栗﨑牧師夫人でもある。
40年前、広川さんの父が大田医院を開院した。「青森で医療をしていた父は、友人に請われてここに来ました。ここは農村部で工場もある半面、医者が少なかったのです」。広川さんは30年前に父の後を継いだ。
診療科目は内科、小児科、皮膚科だが、それ以外でも一通り診る。「この地域は農業従事者が多く、重労働で足腰の痛みを訴える人が多い。処置できるところはし、重症患者は大きな病院につなげている。心の病の方も来られるので、カウンセリングもする。何でもやりますね」
午前と午後の診療の合間には、車で往診にも出かける。1日10人ぐらいは診ると話す。最近は心不全と認知症、がんが増えているという。
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もともと台湾出身で日本に帰化した広川さんは、北京語、台湾語を話せる。若い頃から英語が好きだったこともあって英語も堪能だ。そのため、大田医院は、技能実習等で日本で働きに来ている外国人が安心して通院できる医院として口づてで広がり、日本で働く外国人の多くが受診に訪れる。「結構、遠いところからも訪れる。中には通訳を連れて来る人もいます」
毎週木曜日の休み時間には約1時間ほど、スタッフと患者たちと一緒に聖書の学び会をする。広川さんが院長になってから、30年以上続いている学び会だ。この聖書の学び会から20年前、幸町キリスト教会が誕生した。
「不眠症は治せても人の悩みや家庭の問題はなおせない。薬には限界がある。そういう人には、治療中でも伝道新聞『福音版』やギデオン聖書を渡しています」と広川さん。「研修医4年目で、ゆくゆくは後を継ぐ息子がいます。それまであと5年は頑張ります」と笑顔で語った。
広川院長