天安門事件から30年 今、再び迫害の時代  苦難の中に福音は前進する

1989年6月2日、北京の天安門には数十万の学生や勤労青年が、民主化を求め、座り込みによる抵抗運動を続けていた。その場に2人の日本人クリスチャン女性がその群衆を呆然としながら見つめていた。一緒に来ていた牧師夫妻は、3日に帰国、残された2人は、100冊近い中国語聖書を携えており、6月3日には、次の目的地・昆明へ向かい5日には上海に到着した。
前日、北京で起こった天安門事件の影響は上海にも飛び火し、町は騒然として、交通機関も途中でストップ、2人の日本人女性は、重い中国語聖書を持って、徒歩で、数時間かけて目的の家の教会についた。
中国が闇の時代にも、み言葉の光をかかげ中国を訪れていた日本人がいたのである。
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今年は、あの天安門事件から30周年ということもあり、香港や台湾では、中国政府の独裁政治に対する抗議集会が開かれたが、現地では、「天安門事件」そのものがなかったかのように情報規制が敷かれ、中国の若者のほとんどがその事実さえ知らないと言われている。
だが、武力で鎮圧されたあの民主化運動のその後に、福音宣教の視点で驚くべき展開があったのだ。犠牲者の数は、数千人とも1万人とも言われているが、数百人の大学生が国外脱出を企て、その多くがアメリカに向かったと言われている。そして、彼らを全面的に援助、受け入れたのが、アメリカの福音的教会の関係機関だった。彼らは、約15年間、アメリカに滞在し、その多くがボーンアゲインクリスチャンになり、ある者は弁護士、ある者は医師、ある者はビジネスマンとなった。
当時、政治権力を握っていた鄧小平は、一切の懲罰を加えないことを条件に、彼らに中国に帰国するよう要請、多くが15年前から帰国を始めた。帰国して、彼らがまず取った行動は、キリスト教会を探すことだった。だが、訪ねた政府公認教会の信仰姿勢に疑問を抱いたクリスチャンは、結局そこには加わらず、独自で自分たちの集会を始めた。従来の家の教会ともちがうそのグループは“海帰派”と呼ばれており、本紙記者も、このグループに注解付の中国語聖書を届けたことがある。
さらに、この海帰派が行った事業に、DVD「十字架」の制作がある。帰国後、全国の家の教会での驚くべき福音の前進の記録が編集、制作されたDVDは、10年間で1千万枚もが家の教会の人々の手によって配布された。
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天安門事件後、各地の大学でリバイバルが起こったという報を聞き、一年後の、1990年秋、本紙記者は、中国南西部にある公立大学を訪れた。その大学の女子大学院生がアメリカから来た英語教師から福音を聞いたのが発端だった。天安門事件で大きく傷ついていた若者たちに、瞬く間に、福音は広がり、本紙記者が訪れた時、大学の中に秘密の聖書研究会がいくつもできていた。
その一つの集会は、図書館の中の教授の研究室で開かれていた。「全員、英語が分かりますので、英語でメッセージをお願いします」。まだ信仰歴一年の彼らが学んでいたのはヨハネの黙示録で、その霊性の高さに驚かされた。「今、私たちは、農村に福音を伝える働きをしています」。単に聖書を学ぶだけでなく、彼らは、伝道者としての使命に生きていた。
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あれから30年、今、中国は再び闇の時代に入ろうとしている。習近平政権になって以来、「キリスト教の中国化」という名目で行われているキリスト教迫害は全国に広がっている。迫害は、政府が公認している三自愛国教会から始まり、何千という十字架が取り外され、各地で、不法建築という罪状で教会堂が破壊されている。
そして昨年2月には、すべての家の教会に向け「宗教事務条例」が公布され、政府に登録しない家の教会はすべて違法であり、集会の解散や、牧師、伝道者の逮捕がすでに始まっている。
「どのような状況になっても、私たちの信仰が無くならないように祈ってください」。最近、本紙記者が連絡を取った中国家の教会の婦人伝道者からのとりなしの要請である。