「命を守りたい」を活動の柱に 参議院議員 牧山ひろえさん

教会付属の幼稚園入園をきっかけに教会学校に通うようになった牧山ひろえさんにとって、そこで見、聞き、触れた聖書の世界が、すべての始まりだったように思える。成長とともに根付いていった「自分を愛するように、隣人を愛する」という思いは、幼い頃に聞いたキリストの姿があったればこそ。「命を守りたい」という自らの政治活動の柱には、幼い頃の体験、学生時代の見聞、政治家を志した契機、そして2児の母としてある今の自分、それら神様によって備えられたものすべてが集約されている、と牧山さんは語る。2007年に初当選して以来、参議院議員を2期務めてきた牧山さんに、その柱がいかに形成されてきたのかを聞いた。 【髙橋昌彦】

いじめ、貧困、格差、虐待…
知った以上は行動しなければ

小学校入学を前に両親が別居。それまで専業主婦だった母は、2人の子どもを養うために、高級飲食店で時給の高いウェイトレスの仕事を始めた。働く女性がまだ少なかった時代、夜に仕事に出ている母のうわさはたちまち保護者の間に広まり、それを耳にした同級生たちは、牧山さんを小学校の登校初日からいじめの対象にした。ランドセルはコンパスの針でぼろぼろに切り裂かれ、次第に体にも危害を加えられるようになった。「生き地獄」のような毎日だったが、覚えた祈りと、教会で聞いた苦しみに遭われたキリストの姿が支えになり、何とか生き延びることができた。

いじめのこともあり、小学校1年生の途中で祖父母のいる高崎に引っ越したが、3年生のときにインターナショナルスクールに通うことになり、再び東京に戻った。かつての小学校の担任の先生に会いに行った。いじめられている自分を助けてくれなかった先生が赦せなかったからだ。職員室を訪ねると、その先生が、自分が転校した後に、心労のあまり自死していたことを教えられた。50人以上の生徒がいるクラスには、虐待経験や障害を持つ子も少なくなく、いじめる子、いじめられる子ともに、自分以上に苦しんでいる子がたくさんいた。そして、問題だらけの生徒すべてに目を配ることなど物理的に無理な状況の中で、先生も苦しんでいたことを知った。

東南アジアの街で暮らす父のもとにいた時には、現地のインターナショナルスクールに通った。父の車で学校に通う途中に通る貧困地域では、気をつけないと子どもが車にぶつかってきた。賠償金目当てで親が自分の子をわざと突き飛ばしているのだった。「世の中、どうなっているのか」と思った。

日本に戻ってからもインターナショナルスクールに通った。学費を父が出してくれたからだが、母子家庭の自分とクラスメートの暮らしぶりの違いばかりに目が行き、学校にはなかなかなじめず、一時不登校だった時もあった。そんな折、中学のサマースクールで知り合った友だちから親戚見舞いに誘われた。フィリピン系アメリカ人の彼女と一緒に、マニラ、セブ、レイテ島を訪れた。レイテ島では、水道も電気もない中で、雨水をためてシャワーを浴びるような生活を2か月間送った。フィリピンから戻った時には、自分の狭いアパートが感謝なものに思えた。自分がどれだけ恵まれていたかということにやっと気付き、それ以降、まじめに学校に行くようになった。

授業だけでなく、放課後はユニセフの活動や、アムネスティクラブに入って役員もやった。その時は高校生として人権問題に取り組み、世界中で残虐な行為をするリーダーたちに手紙を書いた。アフリカやアメリカでどういうことが起こっているかをリサーチして、映画上映など学内で啓発活動を行い、「こういうものを見た以上は、大人になったときに何かしら協力しなければいけない」と話し合った。

TV局、弁護士から政治家へ
「神様があえて見せてくれた」

国際基督教大学を卒業後、テレビ局に入社しディレクターとして2年間勤務。その後、単身渡米して弁護士資格を取得し、法務の仕事に没頭した。しかしある時、華やかな人間関係と、洗練されたオフィスで仕事をしてきた自分を振り返った。子どもの頃に見、学生時代に与えられた原点を思い起こしたとき、「自分は何もやっていない」と感じた。そこで今まで培った人脈を生かしてチャリティー活動を始め、10年以上にわたって「国境なき医師団」にワクチンを提供した。収益金は1日で65万円に上ることもあったが、世界中の必要を考えれば微々たるものである。より大きな支援のために政治の力を借りることを考え、政治家を講師に招いて関係作りを進めた。しかし、外交やODAに関心を示してくれる人たちではなかった。「どうしたものか」と思っていた矢先に、参議院補欠選挙の候補者公募を新聞で知り、政治の世界に身を投じる決心をした。

「初めて当選した時に何をやりたいのかと聞かれて、〝命のためのODAをやりたい〟って言ったんです。今までいろいろな委員会に配属されましたが、ODA委員会では発展途上国に母子手帳を普及させる話、文部科学委員会では少人数学級を広げる話とか、みんなそこに結びついていくんです。普通ならあまり体験しないようなことを、子どもの頃から見てきました。神様が見せてくださったというか、〝もしかしたらこの時のため〟なのかなと感じます。20年以上前から通うようになった今の教会では、議員になってからも、事あるごとに祈ってもらってきました。まだまだやりたいことがあります。一つは〝子どもSOS〟。短い番号でそこに電話すればどんな問題でも聞いてもらえるような仕組みがあるといい。1回の電話がその子にとって唯一のチャンスかもしれないじゃないですか。何から何までできるわけではないですが、できる限りのことを限られた時間の中でやる。それが政治家としての、クリスチャンとしての使命だと思っています」