第一回教会アーカイブズ研究会セミナー(上) 記念誌作成、資料保存の実例

教会は次世代に何を残すか。教会員の世代の変わり目を迎える時、信仰の遺産が継承されているだろうか。教会史や史資料保存の意義と実際をまとめた『教会アーカイブズ入門』の刊行から10年がたつ。すでに同書を活用した教会記念誌作成の事例も出ている。第一回教会アーカイブズ研究会セミナーが2月15日、千葉県印西市の東京基督教大学で開催された。教会史作成の実例報告とともに、ハンセン病者救済事業「聖バルナバミッション」の史資料保存事業についての講演からは、歴史に誠実に向き合う姿勢が問われた。【高橋良知】

キリスト教史の研究者の間では、教会の歴史資料の散逸、紛失という問題が意識されていた。『教会アーカイブズ入門 記録の保存と教会史編纂の手引き』(東京キリスト教大学 教会アーカイブズ研究会編、いのちのことば社)は、教会資料の記録・保存に取り組む方法と必要性をアーカイブズ学の成果に基づいて解説。記念誌、教会史作成のためのガイドラインを示した。
本書には、日本の近現代の資料保存分野で第一人者であった鈴江英一氏が参加。今年1月に鈴江氏は逝去したこともあり、今回のセミナーでも鈴江氏を振り返る時間があった。
鈴江氏は、道立文書館館員、国文学研究資料館教授・館長、北海道大学教授を歴任。一方、札幌のキリスト教史や当時所属していた札幌元町教会の40周年誌作成にも携わった。 『教会アーカイブズ入門』では、「3年あれば、教会史はできる」と述べ、札幌元町教会の例を紹介した。
教会史作成の事例として、同盟基督・北総大地キリスト教会、日基教団・石神井教会の報告があった。2014年に創立30年を迎えた北総大地キリスト教会は12年末に記念誌作成を決定。『教会アーカイブズ入門』を参考にし、資料整理作業に時間がかかるとして、余裕をもって記念誌発行を19年5月に設定した。
作成スケジュールは数度変更したという。週報、役員会議事録、総会資料を基本資料として、資料の入力フォームを決め、データベースを作成。編集メンバーはみな本づくりは素人だった。教会員、奉仕神学生の協力を得たが、整理に3年半かかった。データベースに基づき原稿を執筆し始めると、「事実の積み重ねに迫力を感じた。教会の中で当たり前にやっていることの理由や背景を知った」と担当者は話す。「過去を調べ、学び、問題解決のための史料として、息長く用いたい。教会が問題をどう乗り越えていったのか学べます」。作成にあたった教訓についても同記念誌に記録した。
創立から60年を超えた石神井教会では、16年に記念誌の作成が提案された。新井氏を講演で招くなどして、当初は「素人でも教会史がつくれる」という気運があったが、進展がないまま2年が過ぎた。記念誌編集のための奉仕者を募ったところ希望者は2人だった。資料紹介などを教会で積極的にして関心を集めたが作業の協力者を得るには苦労した。
そのような中、婦人会の活動を記録したノートの目録化を一人の人が担ったところ、「やってみたら面白かった。1時間と思っていたが、3時間やってしまった」という声があった。「やり出すと結構面白い。この勢いを生かしたい。教会があれば人の営みがある。どんなに小さくても歴史がある。まだまだ作業はけわしい道のり。なんとか70周年までに形になれば」と担当者は話した。

「負の歴史」向き合うこそ“最大の恵み”
ハンセン病者救済事業の史資料保存事業から

講演者の松浦信氏は群馬県吾妻郡草津町の聖公会・草津聖バルナバ教会とハンセン病療養施設「栗生楽泉園」内の聖慰主(せいなぐさめぬし)教会の牧師を務める。草津においてハンセン病者支援に取り組んだコンウォール・リーの遺品と業績に関する資料のアーカイブズの取り組みに従事し、2012年に同教会の一室に開設された「リーかあさま記念館」の事務局長に就任した。
草津には旧来から湯治でハンセン病者が訪れており、明治時代には集落を形成。キリスト教伝道がなされ、1916年にリーが活動に加わると、幼稚園、女子ホーム、男子ホーム、夫婦ホーム、児童ホーム、学校、医院を形成した。31年のピーク時には集落に約800人、教会に約500人、ホームに約200人がいた。だが旧らい予防法の成立で、病者はその後10年にわたって国立療養所栗生楽泉園に隔離された。
1996年のらい予防法廃止、2001年のハンセン病家族国家賠償請求訴訟判決の確定によるハンセン病への注目を受けたその頃、地域の牧師らが中心となり、03年には『ハンセン病とコンウォール・リー女史』展示会を実施した。また草津町においてコンウォール・リー顕彰会が発足。そのころ日本聖公会北関東教区でも資料整理保管事業が始まっていた。
「草津ではハンセン病の歴史に向き合う動きがとぼしかった」と言う。その理由は、社会復帰した元病者が自らの過去が暴かれることを憂慮したこと、観光地の草津がハンセン病者の歴史を「負の歴史」ととらえたことがある。草津聖バルナバ教会でも、社会復帰者のために、あえて聖慰主教会とかかわらなかった。「そのため、時間の経過の中で、多くの生き証人と記録を失った。教会で保存事業について話しても、病者らから『変なものを残さないで。自分がいなくなれば差別もなくなる』という声があった」と語った。だが「『本当に何も残さなくていいのですか』と語り続けた。その後次第に理解が深まりつつある。病者が『生きててよかった』と思えるために記録が必要でした」
保存事業では、経済的な配慮もあり、「一人の専門家と契約し、その人に教わりながら素人集団で作業を行った」と話す。
まず保存されていた、すべてのものを広い部屋で広げ全体を把握。その後、個々の資料のデータベースを登録し、各文物の実物を保管整理した。「データベースは検索に便利。資料同士の関連性や集計が可能だ。実物の写真を記録し、実物を見なくても情報に触れられるようにし、かつ保存状態を管理した。紙に出力して閲覧できるようにするのも実感がわく」と話した。
キリスト教会が昭和初期より無らい運動を推進し、差別に加担したという事実とも向き合う。「リーが国策に同調した事実があったかどうかではない。ハンセン病者支援の働きを顕彰する中で、私たちの加害性を表明することなく歴史を評価することは自らの立場を正当化していることにつながりかねない。加害者としての当事者性を持てるかどうかは、キリスト教信仰の本質にかかわる。現実に向き合うことは自らを罪人と認め、悔い改め、神に立ち返っていくこと。そしてキリストとともに死に、復活する。これはキリスト教の本質です」
「戦時中の教会は悪に気づかず、むしろ良かれと思ってやったことが、国策にからめとられた。都合の悪い歴史は表に出づらい。教会も罪を犯す。教会は罪人、病人の集まりだからだ。過ちの歴史を恥ずかしい歴史と思いがちだが、神の与えた機会ととらえて、キリストとともに問題に向き合い、赦してもらいたい。認めたくない、逃げたいという思いになるかもしれないが、神様が生きている現実に向き合わせてもらえることが最大の恵み」と励ました。
講演を受けて、『教会アーカイブス入門』の著者の研究者、学芸員・アーキビストらが応答した。  (次号以降につづく)