ひとりひとりの慰め、希望を祈る 大友幸一(保守バプ・塩釜聖書バプテスト教会開拓担当牧師、 宮城宣教ネットワーク代表)

写真=宮城宣教ネットワークで毎月開催している世話人会のようす

 

 昨年11月に、宮城県仙台市のかさ上げ道路(東部復興道路)が開通しました。着工から5年8か月でした。宮城野区から若林区にわたる全長10・2キロメートルの道路で、盛土の高さは約6メートル。私の実家の集落の地域を二分しています。

 この見晴らしのきく新しい道路を走りました。太平洋側を眺めれば、震災前は松林で見えなかった海岸があらわにされていました。津波でほとんどの松の木が抜き去られたからです。また、そこにあった農地は整地され、農業法人によって野菜畑になっていました。

 震災前には我が家のさつまいも畑がそこにあり、毎年教会をあげていも掘りをしたことが懐かしく思い出されます。仙台平野側は津波で流された田んぼが広く区画されて、大型機械での稲作が始められています。かつては、いぐねで囲まれた民家があり、春夏秋冬の景色があり、人の温もりを感じられた集落は失われ、寂しい限りです。その集落ができるには何世代もかかったことでしょう。それらが一瞬で消え去ってしまいました。集落の人々は散らされた所で環境になじむまで、何十年を必要とするのでしょうか。

 新型コロナウィルスの影響によって宮城県内の3・11追悼記念の集会はほとんどが中止になりましたが、仙台港南「家の教会」(若林区)での記念礼拝は行われました。ここのリーダー夫妻は津波で家屋を失い、3年後内陸に自宅を建て、被災者や近所の方を対象に支援活動をしながら福音を伝えてきました。毎年3月の追悼礼拝には津波で家族を失った遺族を招き、今年は8人の方が出席しました。礼拝の中で牧師は8人ひとりひとりの肩に手を置いて、主の慰めと希望があるよう、とりなしの祈りをささげました。そして家の教会が準備した花束をお渡ししました。来れなかった方たちには家の教会のメンバーが戸別訪問して届けました。

 この「家の教会」は被災者が引っ越してきた地域の集会所で定期的にイベントやお茶飲み会を開き、被災者や近所の方々に希望のみことばを分かち合ってきました。集う人のほとんどが高齢者です。みことばを受け入れたかどうか確認できないまま、昨年は3人の方が人生を閉じました。一方ではフードバンク(NPO法人「いのちのパン」)からの食料品を被災者住宅に届け、傾聴ボランティアとして寄り添うことも続けています。

違い認め、豊かさ生む宣教協力へ

 3・11の半年後の2011年9月に宮城宣教ネットワークが立ち上がりました。県内の沿岸部を五つのブロックに分け、各ブロックに世話人を立てて毎月1回世話人会を開き、支援や伝道の情報交換をしてきました。また、被災地宣教に役立つと思われる研修会やセミナーを毎年1、2回開いてきました。昨年はT&M(弟子訓練と教会増殖)セミナーを開き、小冊子を使って誰にでもできる伝道と弟子訓練を学びました。他には自分の救いの証しを小さなトラクトにするプログラムを取り入れました。ある被災者はこのプログラムで作った自分のトラクトを身近な人に差し上げることによって、救いに導きました。

 また世話人会では隔月、3・11後にできた教会の働き人による教会形成のケーススタディ発表の場を設けました。よくできていることだけでなく、上手くいかなかった点についても分かち合ってもらい、被災地宣教における課題を皆で考えてきました。被災地の牧師、宣教師、教会リーダーの背景は様々です。ネットワークによって宣教は前進しましたが、年月を重ねて少しずつ、牧会や教会形成の違いが出始めています。その違いがネットワークの絆(きずな)を弱くしかねません。

 今後の大きな課題は、互いの違いを認めつつ、違いがあることが豊かさを生むという視点に立つ宣教ネットワークを構築し、それを保ち続けることです。そのための知恵が必要になってきています。

※新型コロナウイルスの影響で、東日本大震災から9年を迎えた3月11日前後の記念集会が中止となりました。今回は岩手、宮城、福島の各地の教会ネットワークに東日本大震災から9年の現状と展望を寄稿していただきました。