「仮想」が消す他者・身体 公共、芸術を考える 「不自由」とコモンズ(共有地[知])への応答⑤

 シアターコモンズ’20では「仮想性」もテーマの一つ。あいちトリエンナーレ2019(あいトリ19)にも出品した、小泉明朗作「縛られたプロメテウス」が注目された。

 こんな作品だ。暗がりの中、魔方陣のような場所に参加者は配置され、VR(仮想現実)ゴーグルを装着。無機質な男性のナレーションが、機械との合一を語る。炎、線、立方体、球体などが視界に現れ、参加者の間を行き来する。参加者はやがて光の渦に放り込まれる。ナレーションの中で、「僕」は体が動かなくなり、声を失う。永遠の沈黙を恐れ、脳とコンピューターを接続する。光の中で何万年も生きるのだという。だがこれはこの作品の前半に過ぎない。

 後半では、別室の映像で車いすに乗った男性が登場し、前半のナレーションを繰り返す。男性はALS(筋萎縮性側索硬化症)患者。ALSは徐々に身体の自由が失われ、声を失い、呼吸もできなくなる不治の病だ。ナレーションは機械に身体機能を委ねる実体験と将来の願望という彼の心のリアリティーだった。

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 終演後、小泉氏に話を聞いた。プロメテウスはギリシア神話の神で、人間に火(テクノロジー)をもたらしたことにより、最高神ゼウスに罰せられる。「テクノロジーの背後に苦しみ、痛みがあるというモチーフに関心をもった」と言う。「今、『トランス・ヒューマニズム』のように、テクノロジーが発達すれば身体は乗り越えられる、とする幻想がある。でも身体を中心に物事を考えないとおかしな方向にいくのでは。そんな危機感がありました」。テクノロジーと身体の有限性を考える中で、ALS患者で、社会活動もしている武藤将胤さんと出会った。

 「テクノロジーとナショナリズムは結びつきやすい」とも言う。「テクノロジーはなるべく他者を遠ざける、、、、、、

2020年5月24日号掲載記事