『コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか』ジョン・レノックス著 山形優子フットマン訳、森島泰則監訳、いのちのことば社、770円税込、B6判

表面的な「結論」ではなく、難問と取り組む際に助けとなってきた考えを伝えたい

 新型コロナウイルス感染拡大によって世界に様々な混乱や恐れが生じている。このような中、キリスト教信仰に立つ科学者、ジョン・レノックス博士(オックスフォード大学名誉教授)による『コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか』(山形優子フットマン訳、森島泰則監訳、いのちのことば社)が緊急出版された(電子書籍版も楽天koboや紀伊國屋書店Kinoppy等で発売予定。7月末までは特別価格250円)。監訳者による博士のプロフィールとともに、同書の冒頭を抜粋で紹介する。

レノックス博士初の邦訳著作
“神と科学は矛盾しない”

 ジョン・レノックス博士は、オックスフォード大学名誉教授で、アポロジェティクス(弁証論)の中心的存在として、著作や講演などで世界的に活躍している。生物学者のリチャード・ドーキンス、哲学者のピーター・シンガーなど無神論者たちとの公開討論(ディベート)でも有名である。 レノックス博士は、数学者であり、科学哲学も専門とすることから、キリスト教と科学の関係を論じ、聖書的世界観、クリスチャン信仰を弁証する。博士によれば、神と科学は対立するという考えは誤りであり、神を科学的説明の代用とするところに原因がある。

 また、クリスチャン信仰は、根拠(証拠)に基づいた信仰であって、根本において科学と共通している。博士自身、信者であることと科学者であることに何の矛盾もないと語る。

 ここ20年余り欧米のアポロジェティクスをフォローしてきて、レノックス博士について私が感銘を受けるのは、「私はキリストが文字通り死者からよみがえったことを信じるし、そう告白することを恥じない」とストレートに語る博士の姿勢である。

 博士の著作や講演では、クリスチャン信仰の核心が、科学、哲学、歴史学、聖書などの知識を駆使したテクニカルな議論に埋れてしまうことなく、明確に表明されるのである。博士の最新刊で初邦訳本となる本書は、信仰者として今の疫病禍の世界をどう生きるべきか考えさせてくれる良書である。(森島泰則=国際基督教大学教授

何としても伝えたい慰め、励まし

 私たちは今、いまだかつてなかったような時代を生きています。これまでの世界観、あるいは信じてきたものが何であれ、ついこの間まで確実と思われていたことのほとんどが消え去りました。読者のみなさんがクリスチャンであろうとなかろうと、新型コロナウイルスの世界的な大流行(パンデミック)は、私たちに言いようのない不安を与えています。そんな中、どこから手をつけて考えを整理していったらよいのでしょうか。また今後、どう対応していくべきなのでしょうか。

 本書は、実際に今、まさに体験していることを受けて得た自分の思いをまとめたものです。この本を書き始めてわずか一週間で、すでに事態は急変。そして、これからも目まぐるしく変化し続けるでしょう。……

 読者のみなさん、本書を開くにあたり、次のような想定で読み進んでいただくことをお勧めします。今、あなたは私と一緒にカフェに座っています。(本当にそうできたらいいのですが!) そして、あなたは、この本の題名でもある「コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか」という質問を私に投げかけています。私はコーヒーカップをおもむろにテーブルに置き、襟を正して、その質問にできるだけ誠実に答えようとしています。慰めと励まし、そして希望を、何とかしてあなたに伝えたいと願いを込めつつ。……

Ⅰ 無防備で弱い立場に

 とても現実とは思えないほどの体験です。まさか七十代半ばになって、この自分が妻と共に居間のテレビ画面から保健相が、世界中で大流行している新型コロナウイルス感染症から身を守るため、「四か月間、自宅にこもり隔離してください」と語りかける場面を見るなんて思いもよりませんでした。……

 これまでに世界の多くの都市や国全体までが封鎖され、国境は閉ざされ、渡航禁止となり、必要最低限のものを除くすべてのサービス業は閉じられました。大規模なスポーツイベントは中止となり、静まりかえった街や都市には声にならない恐怖と、隔絶がもたらす孤独の叫びが満ちています。感染の急速な広がりは、英国の医療制度に過大な負担をかけ、必要な医療資材の生産量は前例がないほどに増加の一途をたどっています。……

 中でも人々が共通して感じているのは、自分たちが本当に無防備で弱い立場にあるという思いです。これまで私たちの日常は、ある程度、予想通りに過ぎていきました。そうです、安定した社会を享受してきたのです。けれども、その「安定」がコロナウイルスの出現で音を立てて崩れていくのでした。いつも当てにしていたことは当てにならなくなり、これまで経験したこともないような、自分たちの力ではコントロールできない領域へと、否応なしに追いやられてきているのです。自分をはじめ家族や友人、高齢者と病弱な人たちの健康はもちろんのこと、彼らの精神面までも心配の種となりつつあり、人と人とで繋(つな)がる社会的なネットワークは回らなくなり、食べ物の確保、失業と経済的な安定、そのほか山のような問題を、だれもが一夜にして抱えてしまったかのようです。

Ⅱ 大聖堂と世界観

 危機の只中にあるときは、だれでも希望を求めるものです。二〇二〇年三月十日のニューヨーク・タイムズに、イタリア人のジャーナリスト、マティア・フェラレーシは次のように書きました。

 「(教会の)聖水は消毒液ではなく、祈りはワクチンではない。……しかし、信者にとって、宗教は魂の癒やしと希望をもたらすための基本的な源である。それは絶望への特効薬であり、精神的な安定のためには不可欠なものである。(孤独に対抗する手段でもある。孤独感は現代の公衆衛生問題の中で最も深刻な課題であると、多くの医療従事者たちが指摘している。)」……

 人生の先行きが予測でき、すべてが自分の管理下に置ける時代には、生きる上での大切な問いを問うこともせず、ただ単純な答えだけで満足します。しかし、私たちの暮らしは今、そんな呑気なものではなくなりました。このことは、だれにでも言えることです。あなたの信仰や信じていることが何であれ、今、人生が投げかけはじめた生きる意味に関する大きな問いは、隠れていたところから表に現れ出て、あなたに揺さぶりをかけているのです。

 すべての人はコロナウイルスを通し、痛みと苦しみを伴う問題に直面せざるを得なくなっています。多くの人が、人生の最も難しい局面を迎えています。この経験は当然、これまでの単純すぎる解決策や答えに疑問を投げかけることになるはずです。

 私が本書で取り組みたいことは、コロナウイルスがすべてを塗り変えつつある中、単に表面的な「結論」を出すのではなく、私自身がこれまで難問と取り組む際に助けとなってきたいくつかの考えを、できるだけ正直に、あなたにお伝えすることです。本文抜粋より

『コロナウイルス禍の世界で、神はどこにいるのか』ジョン・レノックス著 山形優子フットマン訳、森島泰則監訳、いのちのことば社、770円税込、B6判