7月19日号紙面:【新連載】“創造の季節”を生活に 地球危機の時代へ応答 環境と教会を考える・序
【新連載】“創造の季節”を生活に 地球危機の時代へ応答 環境と教会を考える・序
写真=創造の季節2020の手引きはサイトで入手可能。今年のテーマは「地球のためのヨベル」
聖書と祈りを土台に、環境問題への警鐘を鳴らす全世界規模のキャンペーン「創造の季節」(Season of Creation、https://seasonofcreation.org/)が9月1日から10月4日まで実施される。カトリック、正教会、世界教会協議会、世界福音同盟、ローザンヌ運動などが協力するが、日本ではまだあまり知られていない。環境意識や持続可能性のテーマが注目されているこの時代、日本の教会でどのように取り組めるか。連載で考える。
「緊急事態宣言」は解除されていない
相次ぐ気象災害、暖冬や猛暑、新型コロナウイルスのまん延、バッタの大量発生…。地球はどうなっているのか。ウミガメの腹から出たプラスチック類の映像は世界に衝撃を与えた。二酸化炭素排出抑制が進まない国際政治に、世界の10代たちが怒りの声を上げた。
一方コロナ禍で、工場や交通機関がストップし、ヒマラヤの山々が澄んで見え、絶滅危惧種の繁殖が回復したとの報告もある。人の活動は抑制されたが、地球環境は活性化した。
緊急事態を経験し、多くの人は「早く元に戻ってほしい」と願った。しかしその「元」とはどの時点の「元」か。すでに世界は緊急事態の中にあったのではなかったか。
日本では、この10年間に、三つの緊急事態もしくは非常事態の宣言が発せられた。コロナ禍の緊急事態宣言はいったん解除されたが、他の二つはまだ解除されていない。それは2011年の東京電力福島第一原発事故による「原子力緊急事態宣言」、さらに各自治体などが発している「気候非常事態宣言」だ。この二つの宣言は、共に環境にかかわっている。
「新しい生活様式」はすでに始まっていた
コロナ禍で「新しい生活様式」を経験した。それは人と距離を取ることだけではない。身近な自然への気づき、人とのコミュニケーションの在り方、丁寧な衣食住、地域の商店や流通、「新しい働き方」を再認識する時だったのではないか。
コロナ禍の特殊条件下で立ち行かなくなった業種への支援が叫ばれた。同時に様々な事業の存在意義が問われた。持続可能ではない働きは見直しを余儀なくされている。
7月から全国の小売店でレジ袋が有料化した。合わせて環境配慮の取り組みをPRする企業も多い。「SDGs」(持続可能な開発目標)の文字が企業活動とともに並ぶ。代表的なのはトヨタ自動車だ。5月に同社長の豊田章男氏は、コロナ禍を踏まえて、一社成長主義や拡大主義を厳しく反省し、地球環境を含めた多様な利害関係者とともに生きる企業活動を展望。SDGsの取り組み強化を宣言した。投資家たちも環境配慮を含む「ESG投資」に力を入れる。産業界の変化は、人々の生活様式を大きく変える。教会も従来の「成長モデル」を見直さざる得なくなりそうだ。
被造物管理は次世代への責任
台風、豪雨などの災害にも気候変動の影響が指摘される。環境省は6月に発表した「環境白書」で「気候危機」を強調。「気候変動×防災の視点に立った社会変革」を打ち出した。
かつて「人間による支配」が環境破壊をもたらしたということでキリスト教は批判された。しかし現在は神による全世界の創造と人間の被造物管理責任(スチュワードシップ)が再認識されている。キリスト者の社会的責任、愛の行動は、東日本大震災など支援活動で幅広く認識されたが、今後は災害の背後にある自然環境への視点も必要となってくるだろう。地球環境問題は次世代にまたがる課題だ。次世代がどんな世界に生きることになるか、考え、取り組む道筋を開くのも現世代の未来への責任となる。
「創造の季節」は1980年代から実施されていたが、近年注目されたのはSDGs採択やパリ気候変動会議があった2015年。教皇フランシスコが環境的回心回勅「ラウダート・シ」を発表し、他教派も賛同したことから問題意識の共有が広がった。「創造の季節」には教職者、信徒、専門家など多様な担い手が集う。ホームページ、動画、SNSを駆使し、創造を覚える祈祷文や聖書朗読、礼拝例、教会による環境配慮の取り組み例などが活発に紹介されている。
§ §
環境に目を開くとき、多様な科学的見解、思想などが見えてくる。行き過ぎた「人間中心主義」、その反動による過剰な「脱人間主義」、自然信仰やアニミズム、政治や企業、団体のイデオロギー…など。それぞれ歴史の中で形成されてきた尊い知恵だが、教会自体が混乱してはならない。聖書的土台が必要だ。その理解を通してこそ、社会に対して批判的かつ協力的に働きかけることができるだろう。次回はまず聖書学の研究者に聞く。(つづく)【高橋良知】